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【連載1】就農11年目に感じる地域の思いやり

 11年前、26歳だった私は、勤めていた建設会社の社長に呼び出され、「農業についてどう思う」と聞かれた。その頃の私と農業の関わりと言えば、会社の駐車場の片隅で家庭菜園をしていたことぐらい。
 それなのに私は、「一生関わりたいと思っている」と答えた。それが本心だったのか、社長の喜びそうな答えを言ったのか、自分でもよく分からない。
 社長が「よし」という表情をして、その日から農業が自分の仕事になった。会社の先輩と2人で、地域の方に教えを請いながら約1ヘクタールの農地で、水稲と野菜の多品目栽培をはじめた。

 3年後、再び社長に呼び出され、「この先どうしたい?」と聞かれた。3年間やってみて、何も利益を生み出さない自分は、お荷物社員だったのだと思う。転職しようか、地元の福井に帰ろうか、結局答えの出ないまま、会社を辞めて、その年もひとりで稲を育てることにした。
 集落の人たちは、会社を辞めても農業を続けるとは思っていなかったようだが、そんな何も持っていない私に機械を貸してくれたり、一緒に作業をしてくれたりした。

 それから8年がたち、田んぼは3ヘクタールに広がった。それでも、お世話になっている地域の方との会話から、いまだに「いつかはいなくなる人」という空気をほのかに感じることがある。これは、生まれた場所でもない土地で、結婚もせず、ひとりで農業をしている私を11年間見守っているからこその、私の人生を縛らないための、思いやりなのかもしれない。
 ここでずっと生きてきた農家が、誰にも言えない気持ちを話してくれることがあった。いつかはいなくなる人と思うから話せることがあるのだろう。
 ある日の夕暮れ、田んぼの向こうの山際から大きな満月が昇ってきたとき、近所のおばあさんが「あんたがいてよかった。ひとりで見るよりも」と言ってくれた。そういった出来事が私をこの土地にゆるやかにつなぎとめる。


全国農業新聞2022年4月22日付に寄稿
【連載】つれづれ農日記/女ひとり米農家になる記録


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