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愚かな者は怒りをことごとく表す

思慮のないものは、感情をあらわにし、怒りを抑えることができない。(旧約聖書)

『旧約聖書』「箴言(二十九・11)」に見られることば。

怒りの感情は、
たまに人の判断力を
混乱させることがあります。

原因が何であっても、
怒りに身を委ねることは、
その人の愚かさを
示すものだと言えます。

一方、知恵と
理性を持った人は、
怒りを抑え、
状況を冷静に
見極めようとします。

怒りを収めることによって、
客観的に状況を判断し、
行動を起こすことが
できるのです。

それこそが聖書にいう
“知恵”としるされています。
怒りの感情ほど、
知恵を薄くするものは
他にないでしょう。

では、『旧約聖書』における
「神の怒り」について
考えてみましょう。

イスラエルの民は
モーゼの指導で
エジプトを脱出し、
シナイ山で十戒を
神から受けました。

その際、神はこう語りました。
「私はあなたがたの神、主であり、
神として人々を見守ります。
また、私は嫉妬深い神でもあります」と。

『旧約聖書』に登場する神は、
超然とした姿勢ではありません。
神は嫉妬深く、
怒る神なのです。

人々が神を否定し、
戒めに背くと、
神の怒りが表れます。

洪水の際には、
神の怒りから逃れるため、
ノアの方舟に
わずかな人々と動物が
乗り込みました。

これは、全人類が神を軽んじた結果でした。

また、バビロン捕囚によって
祖国を失った人々も、
神の怒りが原因と
考えられました。

人々は予言者からの
警告を聞かず、
神の戒めを
守らなかったのです。

神の「怒り」は理解しにくいものです。

なぜなら、私たちは
神は人々を許し、
愛すべき存在である
と考えるからです。

しかし、自然界を
見てみても同じです。
穀物を与えてくれる雨も、
時には洪水や干ばつを引き起こし、
人々や財産を破壊します。

Zol TanによるPixabayからの画像

人間にとって
都合の良いもの
だけではありません。

だからこそ、
「怒る」神や
「嫉妬深い」神の存在は、
なんとなく理に
かなっているように感じ
今に伝わっているのです。


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ゆちよ@宙の星チャンネル別館
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