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教育を行う際に犯しがちな最大の誤りは、若者たちに自分で考える習慣をつけさせないことである

既成の知識をただ覚え込ませるだけでは、教育とはいえないだろう。一人ひとりが自分で考え、正しい論理を追って正しい解答(真理)に到達できるようにするのが、教育の第一歩である。(レッシング)

ドイツの劇作家・批評家
レッシング(1729~1781)の
『最新の文学に関する書簡』
のなかの言葉。

とありますが、
「新ドイツ文学書簡」のほうに、
それらしき文言が
ありましたので
そちらも引用しておきます。

教育の目標は知識を授けることではなく,知識を素材として思考する能力を習得させることである。特に事実的所与又は歴史的所与の内に潜んでいる迷妄から逃れるためには,人間は他人に迷わされない自立した思考に拠って立たねばならない。

レッシングの「新ドイツ文学書簡」とヘルダーの「新ドイツ文学断章」より
写真素材:ロンバルディア画像

18世紀の中ごろ、
教育の第一段階として
歴史に関する知識を
与えるべきだ
という意見が
非常に有名な
作家によって
提唱された。

それに対して
臆せず
はっきりと
反対の意見表示をしたのが、
無類の論争家
レッシングだった。

教育の第一歩は、
自分自身で考える
という習慣を
身に着けさせること。

人間には生来
「なぜ」と
「どのようにして」という
好奇心が備わっている。

この二種類の
好奇心を鍛え、
あらゆる出来事に対し、

その出来事が「なぜ」
そして「どのようにして」
生じたのかと
自分で考え、
自力で論理を追い、
その原因に
たどりつけるように
指導することが肝心
であると主張する。

こういう過程を経て、
初めて考える喜び、
そして真理を
知る喜びが
生まれてくるとも
述べている。

詰め込み
偏重教育の現代、
ますますもって、
このレッシングの
意見は耳が痛い。


Wikimedia Commons

ザクセン州のカメンツという
小さな町で生まれた。
彼の父は牧師だった。
レッシングは、
ライプツィヒ大学というところで
医学と神学を学んだ。

その後、彼は
様々な仕事をし、
物語や詩を書いた。

彼は18歳の時に
「若い学者」という
最初の作品を書いた。'

その後、ベルリンとライプツィヒで働き、
1748年から1760年まで
作家兼編集者となった。
その後、秘書、メンターとなる。

1766年にギリシャ美術
についての本を書き、
それが美術についての
大きな議論のきっかけとなり、
図書館員としても働き、
宗教についても
強い議論をしました。

彼は多くの旅をして
多くのものを見て、
それが戯曲や
詩を書くのに役立てた。

残念ながら1781年に
客死(旅先、主に外国で亡くなること)
として亡くなりました。

でも彼は
ドイツで初めて
劇を書くのが
本当に上手な人だった!

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