問題であるのは、人間の死に方ではなくて、生き方だ
死に方よりも生き方のほうが大切である。(サムュエル・ジョンソン)
イギリスの詩人・批評家・辞書編纂家である
サムュエル・ジョンソン(1709~1784)の言葉。
この句は、
「来るべき死に対して、心の準備をしておくべきではないか」
というボズウェルの質問に対する
ジョンソンの答えです。
ジョンソンは死について
語るのには熱心ではなかったが、
生きることについては熱心に語ったという。
1709年9月18日に
イングランド中部の
リッチフィールドで
生まれた著名な英国文学者
サミュエル・ジョンソンをご紹介します。
片耳が聞こえず、
片目が見えず、
子供の頃から結核の傷跡を
首につけていたなどの
困難に直面しながらも、
ジョンソンは著名な詩人、
批評家、言語学者に成長した。
貧しい家庭に生まれたジョンソンは、
経済的な理由で
大学を中退せざるを得なかった
オックスフォード大学から、
教育を受けた故郷へと
旅立ちました。
1735年、20歳年上の未亡人
エリザベス・ポーターと結婚。
1737年にロンドンに渡り、
悲劇の執筆や新聞への
寄稿に没頭した。
1746年、ジョンソンは
有力者の集まりである
「ザ・クラブ」 の設立に
重要な役割を果たした。
同年、彼の野心的なプロジェクト
「英語辞典」 が発表された。
このような途方もない
仕事を独立して
やり遂げることに
懐疑的な見方もあったが、
ジョンソンは予想を裏切り、
1755年に全二巻の辞書を出版し、
オックスフォード大学で修士号を取得した。
ジョンソンは生涯を通じて、
『詩人列伝』や
『シェイクスピア全集』の改訂・
注釈版などの作品にも
文学活動を展開した。
1759年、小説『ラスケルス』で
小説に挑戦。
特に、1763年に始まった
ジェームズ・ボズウェルとの友情は、
彼の晩年の重要な側面となった。
ジョンソンの影響力は
文学の領域を超え、
1776年に法学博士号を授与された。
彼は18世紀のイギリス文学界に
忘れられない足跡を残し、
「Dr.ジョンソン 」などの
愛称で親しまれ、
その深い影響から
「典型的なイギリス人」
と称えられた。
1784年に亡くなった
彼の遺産は、
文学と言語への貢献の
豊かなタペストリーを
残して消えません。