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【「私は自由なんだ」という窮屈さ】

【「私は自由なんだ」という窮屈さ】

前回記事
【良い母でなければならない自分のこと】
https://note.com/satomaki824/n/n7c8cbbb124cf

生々しい投稿が続き申し訳ありません。
自分の見たくない部分を具体的にするために文章にしています。
どうぞスルーしてください。

🍀🍀🍀

見たくない部分をひとつアウトプットすると、芋づる式に今まで見ないようにしていた部分が見えてきた。

これは三線を弾きはじめた頃にあった感覚に似ている。
音に引っ張られ、声を出すと内面で何かが動き出す…
「なんだろう?この感情はどっから出てきたんだ?」
そうして自分を内観してみる。

そして、
ひとつ紐を引いたら、
ツルツルと繋がって色んな物事が浮上してくる。

そんな感じだ。

あぁ。見たくない。おっかない。
でもこのままで生涯を終えるのも辛い。
そのためには現状の自分を知らなくてはいけない。

ここ数日そんな状態だ。

前回の記事でも書いたが、
わたしは自分の衝動や言動を監視して、罰していた。

占星術を勉強している友達が言うところの、
「乙女座の分析力」とも言えるのかもしれない。

しかし、わたしの場合「客観的な分析力」とは言えないかもしれない。
度を超えた「処罰」に近いのでは?と思えてきた。

🍀🍀🍀

母が私の方を振り向かない、幼少期。
常に母の意識は自分以外の方向を向いていたと感じていた。

私は自分のやりたいこと、いまの感情よりも
「母がいま何をしているか?」
「母が何に興味が向いているか?」

そこに常にフォーカスしていたように思う。

自分のことに興味を向けている余裕などない。
母の視線をこちらに向けるには???
そのことに全人生を注いでいたようにも思う。

とにかく母が「いま何を感じ」「どこに意識が向いてるか」そのことに必死だった。

小学生までは、
年に一度、母と田舎に帰って親戚のお宅に泊まっていた。

その時は母は
二日酔いで寝込んでいたり、
仕事へ行って酔っぱらったり、知らないオジさんが家に来ることも無い。
「私のお母さん」としてそこにいる。

私は安心してお宅で遊んだり、たまたま来ていた親戚の子どもと遊んでいたように思う。

あぁ、ここで思い出した。
これもまた鮮明に残っている記憶。

たまたま遊びに来ていた遠い親戚なのか、
親戚の方のお友達親子なのか…もう関係は忘れてしまったが、
少し年上の女の子とお母さんが同じ日に泊まりにきていて、遊んでもらった。
その子は凄く優しくて、遊んでもらえて楽しくて嬉しかった。

私は家ではいつも1人で遊んでいたから、お姉さんとかお兄さんの存在に憧れを持っていた。

そろそろ帰ると言い出した時に、私は激しくイヤイヤした。
その子の手を取って「帰らないで!もっと遊ぼう」と言った記憶がある。
その子は「うん。わかったよ」と少し困った顔をしていたけれど、優しくなだめるように言った。

その時にその子のお母さんが、
物凄く嫌な表情をして私を睨んでいた。
(いま思い出しても体が震えるほど恐い)

お母さんのあの表情を見てからは私はその顔が頭から離れず遊んでいてもお母さんが気になって仕方なかった。
遊んでいた時の記憶はうっすらしかない。

その日は泊まっていき、
翌朝、そのお母さんは私の目を見ずに帰っていった。

この映像は大人になっても何度か思い出されることがある。
母親だけでもおっかないのに、
外にもおっかない大人はいる。
(動悸が激しくなったので書くのを少し休憩する。)

文章を書きながら思い出していたら、
動悸が激しくなり、呼吸も苦しく、手も震えていた。
思い出が映像として頭に浮かぶことで、
目の前の現実として体は錯覚するのだろうか?

幼少期に感じた事なのに、
ここまで残るものなのか…!
自分ではもう終わった過去
大したことない事
そう思っていた。

だけど、それは、
そう思いたいという「願望」なのかもね。
こんなに苦しくなるような思い出を何十年と1人で抱えていたのか…

まさか、書きながらこんな状態になるとは…
本当に驚いたし、このことが自分にとってそんなに大きな事だったことにショックだ。

書きながら落ち着いてきた。
本題に戻ろう。

このお母さんのことでも分かったが、
とにかく恐怖の対象となる大人がいると
そちらに意識が向いてしまい
自分のしていることや、気持ちに意識が向かない。

私は自分が人に対してそういう意識があることに気付かないまま、恐怖の対象を見つけたら無意識的にその人を喜ばせたり、納得させたり、満足させたりと、それに終始して技を磨いていった。
(呼吸ができなくなるほどの恐怖なのだから、それも当たり前の流れだろうと今なら思える)

そして、
問題クリア!課題クリア!といった感じで、喜びに変わっていったのかもしれない。
(これを承認欲求と言うのかもしれないね)

しかし、そこには私自身の「真の喜び」はない。

恐怖から逃れるためだけのミッションであって、それは相手に依存しているだけの言動でしかない。
自分自身の欲求からきたものか?と聞かれたら「NO」だ。

だから私は「今ここに自分がいない」ような感じがして、常に「私」を探していた。
ように思う。

しかし、こんな状態の自分を認めたくなくて「こんなの私じゃない!」と否定しながら、どこかに落ちているかもしれない「私」を探してずっと彷徨い歩いていたんじゃないか?と思う。

「私」はどこにも落っこちてないのに。

どこか違うところに「私」を探しているうちに、
「有名になったらいい」とか「人から称賛されたらいい」とか自分と向き合うことよりも、外側にあるような気がして結果を出して注目されることに意味を持つようになった。

所謂、「ステイタス」にこだわった。

だから人より凄くない自分はダメだと思うようになった。
「凄いね」と言われることに価値があると思うようになった。

それに加えて、
幼少期に人の目を気にして自分の欲求を抑圧していたのもあり、大人になってからは「私は私らしく自由に生きる」という強い願望があった。

しかし、幼少期に「私らしさ」や「自由」を抑圧して周りの様子を見て生きていたから、大人になってからそれをいざ実践しようと思ってもなにが私らしいのか?自由になったけどどうして良いか?が分からない。

しかし、大人になると突然、
「自分の人生は自分でご自由に創作してください」とポーンと社会に放り出される。

私はなんとか自分を掴みたくて、
常にがむしゃらに突っ走った。

自分がこれをやってどう感じてるか?
これを本当にやりたいのか?
そんな問いかけはせず、ただ突っ走った。

やったら何かが見えてくるもんだと思ってたから。

「大人になったら私は好きなように生きてやるんだ!」
そういえば、
思春期あたりからそんな風に思い込んできた。
大人になって親から解放され自由になれば、幸せになると思っていた。

いざ、大人になり、自由になると、
私の心と体と思考はどんどんチグハグになっていった。

言動と考えていることがバラバラ。
思ってもない言葉が咄嗟に口から出るし、
本当はやりたくない事も「わたしはこれで結果を出すんだ」と無理矢理にやり通したりした。

今にして思えば、
自分と向き合いたくなくて、
目をつむりながら、
どこかに落ちてる自分を手探りで探していたんだろう。

「何か形になれば楽になれる」

ずっとずっとそんな風にどこかに幸せを求めていた。

自由の中にある、窮屈さ。

でも残念ながら、
自分の中にしか答えがないらしい。

どんなに自分を装ってみても、
その中に眠る自分が変化しない限り、
豊かさは掴めない。

自分という器がある限り、
器の中に何を淹れるか?でしかない。

私は自分の過去と向き合いたくなくて、
ずっと器を変えようとしていた。
それも自分とは程遠い理想とする器に。

この肉体という入れ物を
まずはすべて受け入れて認めていくしかない。

大人になった今は、
それを自分自身でやるしかないんだ。

見つめて、知り、認める。

それを繰り返すしかない。

だからこうして書き残す…
いまの私はこれしか出来ない。

だったら、それで良いんだ。きっと。

🍀🍀🍀🍀

自分でも見たくもない部分なので、こうしてSNSに投稿するのは本当に気が引けます。
だけど、もしかしたら、このように葛藤しているのは私だけじゃないかもしれないとも思い、開示することにしました。

もし私の体験記を読んでなにか感じて下さる方がいるなら、私も救われます。
ありがとうございます。

そして私の投稿で不快になる方がいたら申し訳ありません。

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