日記 2021年6月 一千万円分の不幸を前に「にひひ」と笑う大人になりたい。
6月某日
住んでいる近所、というか、マンションの前に警官が三名いた。もう帰るところらしく、三人ともヘルメットをかぶってバイクにまたがろうとしていた。
警官の前を通り過ぎる時に軽く会釈をした。
呼び止められることなく、通り過ぎた。僕はお呼びではなく、トラブルは既に終わっているようだった。
住民同士の何かしらのトラブルだろうか?
そういえば、以前深夜に物凄い音が響いて、翌朝にマンションを出ると駐車場に止めてあった黒い車の助手席の扉が大きく凹んでいたことがあった。
コロナ禍による巣ごもり生活に対するストレスの発露だろうか。
あるいは、最近流行のペットの脱走だろうか。
アミメニシキヘビ、ミナミジサイチョウときて、次はなんだろう。うーん。
巨大なカメとかかな?
絶滅したと思われていたフェルナンディナゾウガメがガラパゴス諸島とかで見つかったりしてるし、なんかそういう希少なカメとか近所で見つからないかなぁ。
(こんなカメが近所を歩いていてほしい)
6月某日
部署移動で現在の僕の隣には年下の男の子が先輩として、色々教えてもらっていた。
彼とは部署異動前から交流はあって、会う度に「男二人でいちご狩りに行こう」と誘っているのだけれど、良い返事をもらえていない。
職場でしか面識のない男二人でいちご狩りに行くって、絶対に面白いのに。エッセイのネタにもなるし、なんとなくそこには物語が潜んでいるような気もするので、なんとか実現したい。
そんな彼の最近の悩みは眠りが浅いということで、朝起きても快眠だと思うことは稀なんだそうだ。
もう少し踏み込んで聞いてみると、朝の三時までゲームをしているんだそうだ。
「だから、ちょっと高いマットレスを買おうと思っているんですよ」
と彼は言う。
原因は分かりきっている気はするけれど、彼は眠りの妨げは布団にあるのだと信じているようだった。
「本当はですよ、本当は仕事終わってから資格の勉強とかして、転職して人生を好転させたいんです。けど、眠りが浅いから集中力が続かないんです」
ちなみに、最近勉強はいつしたんですか?
と尋ねてみた。
「してないんですよ。眠りが浅いから」
いや、ゲームを朝の三時までやってるからや!
とツッコミを入れてみる。
「いや、それとは関係ないんですよ」
ボケとかではなく、まじな顔で言われる。
まじでか?
「さとくらさんは、これを買ったら人生が好転するものってありますか?」
うーん、と数分悩んでみたが、とくに浮かんでこなかった。
僕は結構今の生活に満足していて、人生が好転していないのは単純に僕が怠惰だからで、何かものを買ったからって変わるとは思えない。
とか考えていた翌日、ちょっとスペックの高いパソコンと持ち運びやすいノートパソコン、あとプリンターがあったら、今の二倍は小説やエッセイを書くのが楽しくなる気はする。
せめてプリンター!
印刷したもので文章の手直しをしたい。
6月某日
ネットの記事、「日本の被差別階級「弱者男性」の知られざる衝撃実態…男同士でケアすればいいのか」を読む。
そこでは弱者男性という言葉が使われていて、これは「インターネット上で生まれた用語で、日本社会のなかで独身・貧困・障害など弱者になる要素を備えた男性たち」なんだとか。
記事には「未婚男性は、有配偶者の男性と比べて15年早く死ぬ。」と書かれていて、まじか……となる。
ちなみに、その理由は「男性の方が女性よりセルフネグレクト傾向に」あって、「健康を早く損ねやすいといった背景」があるんだとか。
未婚男性は既婚者の男性より15年早く死ぬ、というデータをどの世代で取ったのか分からないが、団塊の世代(1947年~1949年)とか、しらけ世代(1950年~1964年)とかで言えば、タバコは当たり前、お酒も一気に飲んで場を盛り上げるぜ、な時代だから、そりゃあ健康を損ねやすい地盤は揃っている感じはする。
また、こんな内容も記事にはあった。
幸福度でも、未婚男性と既婚男性では、大きな差が出る。日本の未婚男性は、既婚男性よりも30%幸福度が下がる。
(中略)
興味深いことに年収が高くても、未婚男性は既婚男性より不幸である。既婚者は64%が「自己肯定感が高い」と答えているのに対し、未婚男性は年収1,000万円以上でもおおよそ30%台で、これは年収300万円台の男性と変わらない。
これも、どの世代の未婚男性からデータを取ったのか気になるが、ポスト団塊世代(1950年~1955年)や断層の世代(1951年~1960年)とかだとすれば、その世代の幸せは家族と子供の為に働くって言う昭和ド真ん中な価値観が幅を利かせていた訳で、その物差しで行けば、自分なんてって思うのは当然なような気もする。
ちなみにオタク第一世代と呼ばれる庵野秀明とか岡田斗司夫たちは断層の世代に分類されて、「ウルトラマン」「仮面ライダー」「マジンガーZ」といった怪獣・変身ブームの洗礼を受けている。
オタクな趣味があれば未婚男性の幸福度が上がるって話がしたい訳ではないのだけれど、そういうエンタメが整備されていない時期の楽しみって限られているし、周囲からの理解も乏しいから、未婚男性の肩身は今より一層狭かったんだろうなぁとは思う。
6月某日
父親からLINEがあった。
実家のローン(25年)を払い終わったらしい。
それに関する内容なのだけれど、酔っているのか、テンション振り切っているのか顔文字絵文字の連発にスパムかな? と疑いたくなる文面になっていた。
ちょうど鈴木涼美の記事を読み漁っていたので、「モテるおじさんのSNSが、「不自由な表現展」である理由」とかに書かれているモテないおじさんは我が父上かな?と思うも、父親はLINEくらいしかSNSはやっていないので、息子に対して自由な表現するのは全然いい。
そういう文面は横に置いておくとして、25年のローンを払い終わり、この家はお前の物だ(正確には弟を含めたお前たちって言うべきだと思うんだけど)とかって言ってくる父親はなかなか立派だと思う。
返信の文章もちょっと感慨深い感じの内容になて、冷静になった今、少し恥ずかしい気持ちになる。
何にしてもめでたい。
僕はこの先、実家に帰って生活をするということはないだろうけれど、どこに住んでいて、帰って一息つける場所があるという実感は、僕のこの先の人生を支えてくれるような気がする。
将来的には弟が実家には住むだろうし、その時に彼は結婚しているし、多分、子供もいる。
そんな実家に僕は他人行儀に遊びに行く訳だ。
もう、そこに僕の居心地の良い場所なんて一つもないんだろうけれど、それで良いし、そうあるべきだと思う。
実家に弟さえ居てくれれば、それで良い。
贅沢を言うなら、50歳、60歳になっても弟が近所の公園でバトミントンとかサッカーを一緒にしてくれたら、言うことはない。
6月某日
頭痛が凄い。
高校球児がバッターボックスでフルスイングしたバットが脳天にぶつかってのかって言うくらい痛い。いや、流石にそれは言いすぎか。
けど、頭痛のせいで仕事終わりずっとベッドの上で伸びているのは、ちょっと困る。
原因を考えてコンタクトレンズかな?と思って、つけて仕事に行くのをやめてみた。
楽!
超楽!
しばらくはコンタクトレンズせず仕事に行こうと思う。
6月某日
とももんさんなる人が企画、編集、装丁した「非公式一花アンソロジー『Meilleures Fleurs』」を買う。
五等分の花嫁のヒロインの一人、中野一花をメインにしたアンソロジーだった。
購入したサイトが「BOOTH」なるところで「クリエイターによる創作の総合マーケット」とトップページにはあった。ちょっと気になっているサイトで、登録も購入も簡単だった。
「非公式一花アンソロジー『Meilleures Fleurs』」はイラストと小説と漫画が収録されていて、企画者のとももんさんの「甘いコーヒーを飲んで」が個人的に好きだった。
アニメでもあった、朝の登校シーンのエピソードを膨らませて、書かれた二次創作(ってことで良いのかな?)で、コーヒーも学校も別に好きじゃないけれど、それを好きになる瞬間が描かれていて、上手いし面白いと思った。
二次創作の正解って多分なくて、好きに書くことが全てだと思うんだけれど、こういう風にテクニカルなものもあるなら、他のものも読みたくなった。
あと、表紙のイラストがひたすら綺麗。
6月某日
芥川賞と直木賞の候補が発表された。
その中にくどうれいんがいて、読みたい人リストに入っている人だ!となる。
くどうれいんは「わたしを空腹にしないほうがいい」という食に関するエッセイを出版している。
冒頭が掲載されていたいて読むと面白そうしかない。
わたしを空腹にしないほうがいい。もういい大人なのにお腹がすくとあからさまにむっとして怒り出したり、突然悲しくなってめそめそしたりしてしまう。昼食に訪れたお店が混んでいると友人が『まずい。鬼が来るぞ』とわたしの顔色を窺ってはらはらしているので、鬼じゃない!と叱る。ほら、もうこうしてすでに怒っている。さらに、お腹がすくとわたしのお腹は強い雷のように鳴ってしまう。しかもときどきは人の言葉のような音で。この間は『東急ハンズ』って言ったんですよ、ほんとうです、信じて
最高でしかない。
更にこの本に関する説明をくどうれいん自身がしていて、
この本は最初、俳句のウェブマガジンに無料で掲載されていたものを、自費出版としてほぼ原価で販売していたものです。まったく儲からず、手間も相当かかるため絶版しようとしていたところ、booknerdの早坂さんに見つけてもらい、文庫化。ISBNを取っていないとはいえ全国流通されることになりました。
ウェブマガジンから自費出版からの文庫化。
凄い、というか、色んな人から多くの人に読まれるべきエッセイだと思われたっていう経路が素敵すぎる。
そんなくどうれいんのエッセイがネットにあって、文芸誌の群像に掲載されたものなのだけれど、これがちょっと泣けるレベルで良い話だった。
くどうれいんのお母さんが素晴しすぎません?
東浩紀が「ゆるく考える」というエッセイ集の「選択肢は無限である」の中で、入試の残酷さについて書いている。
入試が残酷なのは、それが受験生を合格と不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生や家族に対し「おまえの未来は合格か不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ。
受験とか入試って本人の問題や大変さと同時に、その家族に対しても降りかかってくるもので、その重圧というか、プレッシャーに対して、くどうれいんのお母さんの軽やかさはなんだろう。
大人ってこういうことなのかな?
一千万円分の不幸を前に「にひひ」と笑うこと?
少なくとも僕はそんな大人になりたい。
6月某日
「BOOTH」というサイトで「少女文学 第四号」を購入した。
説明項目には「『少女のための』文学同人誌「少女文学」」とあって、紅玉いづきのツイッターをフォローしている身としては、存在だけは知っていた。
そんな中で、今回は津原やすみが参加すると知って、しかもその内容が地の文も含めてすべて広島弁で書かれているとも知り、購入を決めた。
僕は広島出身で、小山田浩子がカープを題材にした小説だったり、ネットで連載していたエッセイだったりで広島弁が使われていて、こういう感じになるんだと読んでいた。
実際、脳内ではちゃんと広島弁になる。
そんな中での津原やすみの地の文までの広島弁。
ということで、期待して津原やすみの「恋するマスク警察」を読んだら、めちゃくちゃ面白かった。期待を易々と超えていて、母親にオススメするか悩むレベルだった。
生まれてから、これまで広島にずっと住んでいる母親はこの広島弁で書かれた小説をどう思うんだろうか。
しかも「少女文学」と称された文学同人誌。
うちの母様は少女小説とか読んだことあるのかなぁ。
有川浩とか少女漫画も好きだから、まったくスルーってことはないだろうけれど。
なんにしても、「恋するマスク警察」。
電車の車内でコロナの時期だからこそ気になった男の子と友人のささやかな秘密を知る話で、同級生の男の子から先生まで一切の無駄がないし、全員がキャラクターとして魅力的だった。
なにより主人公が良い。
益子 呂奈(ましこ ろな)って名前が、すでにコロナと真正面から対峙しなくちゃならないし、父親がご時世のせいで仕事を失っていて、進路が限られているために内申のためにマスク委員を引き受けている。
そんな女の子が抱えているのは「小学生の呪いが実現する世界」で、コロナにかかればいいと思った相手が本当にそうなることの怖さ。
この怖さって白黒判断することの躊躇だ。
あなたは良い人、あなた悪い人って自分の視点だけで判断してしまうことの怖さ。
この躊躇こそが、小説の主人公に対する一番信頼できる点だと思う。
自分が正しいんだ、と思っている人間って正直、信用できないし、自分は間違っているんだって思っている人間の語りだと、好感が持ちにくい。
実際、世界はあいまいにできていて、そのあいまいさを引き受けることが「恋するマスク警察」の最後に書かれる「勇気の片鱗」なのかな、と思った。
ちょっと見当違いなことを書いてしまったかも知れないけれど、名作であることは間違いないし、誰かと感想を言い合いたい作品だった。
他の作品も読んで少女文学を堪能した後に、やっぱり母様に送ってみるか。
サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。