神様と成功を信じる前に手を洗え。
本日、ツイッターのトレンドに「国内2号店「ハードロックカフェ大阪」閉店へ 約30年の歴史に幕」というものが上がっていました。
ハードロックカフェってご存じですか?
僕は知らなくて、ネットで調べると「ボリュームある料理をロックを聴きながら楽しめるアメリカンレストラン」であると出てきました。
そんな大阪にあるアメリカンレストランが1月末に閉店することが22日、関係者への取材でわかったと産経新聞が報じた、とツイッターの記事には載っていました。
理由はコロナウィルスの影響が背景にある、とのことでした。
「郷倉さん、俺一度は行こうと思ってたんですよ、ハードロックカフェ!」
と閉店を知った職場の後輩が言い出して、「なので、仕事終わりに一緒に行きませんか?」
基本的に人の誘いは断らないをモットーに生きている、わたくし郷倉四季としても少し悩みました。
まず、僕らが生活をしている大阪府では緊急事態宣言が出ている最中であり、また職場の場所的に仕事終わり「ハードロックカフェ」へ行くとすると、ラストオーダーの19時半ぎりぎりになりそうで、しかも本日閉店だと知らされているので、お客さんでいっぱいなのではないか。
懸念事項を挙げればきりがありませんでした。
けれど、今回を逃せば、僕はおそらく生涯「ハードロックカフェ」なるアメリカンレストランに行くことはないだろう、と思いオッケーしました。
コロナウィルスの影響による閉店であれば、それに触れていることで将来エッセイや小説のネタになるかも知れない、そんな下心もあってのことでした。
人がいっぱいだったら、マックに寄って帰ろうと後輩と言っていたのですが、ハードロックカフェに入った時は席が空いていて、ラストオーダーにも間に合いました。
さて、今回のエッセイは大阪の緊急事態宣言が出る前の、僕が誘われたら断れないから体験した話です。
少々長いですが、お付き合い頂ければ幸いです。
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「ボードゲーム会に行きませんか?」
というお誘いを知人から受ける。
その時はまだ関西では緊急事態宣言は出ておらず、開催場所は府内にあるご夫婦の家でメンバーも少人数ということだったので、オッケーをした。
昼過ぎに待ち合わせをし僕が先に到着して、数分後に知人が改札を抜けて来るのが目に入った。知人はマスクをしていなかった。
人の笑顔をテレビやスマホの画面越しではなく、久しぶりに見た。が、少し引く。物理的に顔をそむけ、鞄の中に入っているマスクを渡すか少し悩む。
けれど、事情があってマスクができない人もいると聞くので、何も言わなかった。
知人に案内されて、ボードゲームをする家までの道を歩く中で、「今日はどんなボードゲームをするの?」と聞く。
「7つの習慣って知ってる?」
「知ってる、昔読んだことがあるよ」
7つの習慣をウィキペディアで調べると以下のように出てくる。
ジャンルはビジネス書とされる場合が多いが、成功哲学、人生哲学、自助努力といった人間の生活を広く取り扱っており、人文・思想、倫理・道徳、人生論・教訓、自己啓発などに分類される場合もある。
数年前から本屋でコーナーもできているけれど、いわゆる自己啓発本で二十二歳くらいの時に、簡略化された文庫本を読んだことがあった。
その頃に「引き寄せの法則」や「金持ち父さん貧乏父さん」もまとめて読んで、自己啓発系の有名どころは把握した気になって、満足した思い出があった。
「その7つの習慣をボードゲームにしたものをするんだよ」
あー、純粋なボードゲームって訳じゃなくて、知育玩具みたいなヤツね、と思って、僕の足は重くなる。
知人の話を、うんうん聞いていると、声をかけてくる男の子がいて、どうやら今回の参加者らしかった。そして、この男の子もマスクをしていなかった。
まじで、もう帰りたい。
会場のご夫婦の家は一軒家で、迎えてくれたのは奥さんだけだった。部屋の中にはワンちゃんが一匹いて、入るなり吠えられた。
一緒にきた知人と男の子は当たり前みたいに荷物や上着を脱ぎだす。
手を洗っていない。それが当たり前、という空気があって、手を洗わせてください、と言えず、持っていたハンドクリーム型のアルコール消毒で手をベタベタにした。
男の子がベビーカステラを買ってきていて、それがテーブルに盛られて、奥さんが温かいお茶を淹れてくれた。
それを四人で食べることになったのだけれど、いや、だから手は? 手を洗ってからお菓子って、昔お母さんに言われませんでした? と思うが、新参者で僕だけアウェーなので、何も言わない。というか、小心者ゆえに言えない。
ハンドクリームで消毒したとは言え、手づかみでお菓子を食べる気にはなれず、テーブルと少しだけ距離があるソファーに一人座って、交わされる話題に相槌を打った。
そんなことをしていると、さきほど吠えてきていたワンちゃんが僕にすり寄ってきた。最初は撫でるのを躊躇していたが、ワンちゃんは鼻で手をつついて、撫でろ撫でろと催促してくるので、途中から右手で撫でた。
この家にいる滞在中の七割くらいの間、そのワンちゃんは僕の膝の上に乗って、撫でることを催促し続けてきた。
7つの習慣のボードゲームがテーブルに広げられた。
その際に奥さんが「このゲームは一人で勝つものではありません。あくまで、みんなでゴールをするものです」と説明をはじめた。
ウィキペディアに本の帯に書かれたキャッチコピーが概要に書かれていた。
個人、家庭、会社、人生のすべて ― 成功には原則があった!
キャッチコピー通り、このボードゲームは成功の原則を学ぶ為にある、らしい。
おそらく僕が「賭ケグルイ」の住民、蛇喰夢子であったなら、
絶対に全員が成功しないようにゲームコントロールしようと知恵を絞ったでしょうが、僕は家畜にならないよう立ち回る小心者なので、とりあえずニコニコ笑っていた。
笑顔は世界共通。
貴方たちに敵意はないですよ、という平伏の合図。
(実際はこうしてみたかった)
ボードゲームをしている間に旦那さんが帰ってきた。
ちらっと見て、挨拶をしようと思ったが、なんだか、そういう空気でもなかったし、失礼だけれど、一瞬の躊躇もあった。
というのも、旦那さんは左腕がなかった。
旦那さんはキッチンに立って料理をはじめて、僕はもうボードゲームどころの話ではなかった。
村上春樹の「ダンス・ダンス・ダンス」に登場した、片腕の詩人。彼が失った腕は左だったか、右だったか。
ダンス・ダンス・ダンスの「僕」はサンドウィッチを作った片腕の詩人に対して、どうやってパンを切ったのだろう? と疑問に思っていなかったっけ?
僕の興味はボードゲームではなく、旦那さんへと完全に移っていた。その時は分からなかったけれど、今調べるとダンス・ダンス・ダンスの片腕の詩人はディック・ノースと言い、左腕を地雷で失っていた。
ボードゲームが終わった後、旦那さんも含めて話す機会があった。作っていた料理はスパイスカレーで、今日はこれからスペイン語の教室へ行くのだと言っていた。
まるで小説世界の住民みたいだ。
失礼かも知れないけれど、そう思った。
「スパイスカレー食べていく?」
と言われて、知人にこの後、予定があるとも伝えていなかったし、実際に予定はない。
断るのも失礼なのかと思って、いただきますと頷いたけれど、もう少し後でと言う参加者がいて、すぐに食べる空気でもなくなった。
正直、ボードゲームが終わった時点で、僕はこの家から出る理由をずっと探していた。できる限り穏便な理由で、かつ、これは意味が分からないけれど、「あ、こいつ逃げたな」と思われない形が良かった。
まぁ、逃げたなと思われたくない時点で、僕はすごく逃げたいし、居心地が悪かった。
けれど、これから30代に突入する、大人たる態度として、居心地が悪いから逃げ出すは、あまりにも幼稚すぎる。
などと考えていると、奥さんが色んな神様が描かれたタロットカードを持ってきた。
自分の聞きたいことを言ってから、そのタロットカードをシャッフルし、一枚を引くと、それが神様からの答えになる、というものだった。
ふへぇ(もう帰りたい)。
来る時に合流した男の子からカードを引き、その答えで盛り上がっていた。その時に分かったのだけれど、男の子は33歳で、病院関係の仕事に就いていた。
年上! ってか、その職業でよくマスクせずに外を出歩けるな! と思ったけれど、僕はひたすらワンちゃんを撫でながら、ニコニコしていた。
そして、僕の順番になって、「じゃあ2021年に僕がすべきことを(超無難)」と言って、一枚を引く。
そのカードの意味を説明してくれた。
「不幸」もなし「幸福」もなし。ただ、精いっぱいに生きるだけ
おぉ。
僕は今年「精いっぱい生きるだけ」なのね。
それ以外にも色々書かれているけれど、財産とか地位とか、そういうものに固執しても、人はいつか死ぬんだから、楽しい毎日を送りなさい、みたいな内容だった(宗教っぽいなぁ)。
そして、その説明のラストに「メメント・モリ=死を思いながら生きろ。」とあって、カッケー! ってか、村上春樹のノルウェイの森の「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」じゃんと思う。
タロットカードが終わった後に、次なるカードが待っていた。こちらは引いたカードによって、今年行くべき神社を教えてくれる、というものだった。
僕はまだ初詣に行っていないのだ、と話すと「じゃあ、これで出た神社に行くのも良いね」と奥さんが言った。
いいですねー、と答えつつ、カードを引く。
すると、「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」というカードで、神社の中に京都府の八坂神社が入っていた。
「八坂神社ならすぐ行けるね」
「っていうか、今年の初詣に行ったよ」と知人が言う。
ほへぇ。
と、頷いて、その場で調べてみた。電車で40分くらいで八坂神社に行けることが分かった。
瞬間、これだ、と思って
「あ、じゃあ、今から行ってきます」
と言った。
もう何でも良かった。
とりあえず、この家から出られるなら、40分と電車代くらい何でもない。それにまだ緊急事態宣言は出ていない。県をまたぐなら、今しかない。
僕の突然のやる気に周囲は引いていて、え? まじで行くの? という空気が充満していたけど、無視した。
「とりあえず、スパイスカレー食べる?」
と奥さんに言われて、さっきいただきますと言った手前、断れずに頷く。
やっぱり、誰も手を洗わない。
彼らは自分の手の綺麗さに絶対の自信を持っているようだ。僕はまたハンドクリームのアルコール消毒を手にベタベタと塗る。
旦那さんが作ったスパイスカレーは美味しかった。ちゃんとスパイスが効いていて、そこまで辛くもなく、丁度良かった。
完食した後、お水もいただいて、全員が食べきるまでの雑談にも付き合った。
不自然じゃないタイミングを見計らって、「では、そろそろ」と立ち上がって上着と鞄を持った。
奥さんや知人、男の子とかが和やかに見送ってくれた。
知人の案内でここまで来たのだから、帰りの駅まで知人が送ってくれるべきなのでは? などと一瞬だけ頭によぎったが、分からなければグーグルマップが僕にはあるし、彼らにとっての楽しい場を僕のような新参ものが、これ以上乱すべきではないだろうとも思う。
最後の最後まで礼儀正しさだけは忘れないくるみ割り人形のごとく「ありがとうございます、ありがとうございます」を繰り返して、家を出た。
一人になった瞬間の開放感は凄まじかった。
駅に到着して、まずトイレで三回手を洗った。
そして、それから八坂神社の最寄り駅までの電車に乗った。電車の中で彩瀬まるの「朝が来るまでそばにいる」を読んだ。携帯の電池が切れそうだったので、低電力モードにした。
(めちゃくちゃ良作の短編がぎゅっと詰まっていました)
八坂神社に到着したのは19時過ぎだった。
それでも参拝客はいて、奥へ進んで行く際に参拝前に手を清める手水舎を見つけた。真っ暗になっていたが、手を清めてから、お参りをした。
写真も幾つか撮って、知人にお礼の文面と共に送った。
ここまでしておけば、逃げたとはならないし、礼儀も尽くしたことにもなるだろう。
にしても、僕は今日一日ずっと何と戦っていたんだろう?
分からないけれど、疲れた。
冷静に考えれば、マスクをしないのも、手を洗わないのも彼らの自由だ。
7つの習慣のボードゲームをして、神様のタロットカードを引いて、成功と神様を信じるのも自由だ。
ただ、神社にお参りする時に手を清めるように、外から家に入る時は手を洗うべきだ。少なくとも、他人を家に招くのであれば。
それは何かを信じるとか以前の礼儀だ。
と僕は思う。
コロナウィルスに掛からないと信じることも自由だ。
けれど、自由の前に礼儀はある。
僕はできる限り礼儀正しい人間でいたいと思う。
今日一日、何と戦っていたのか判然としないけれど、その結果、僕は礼儀正しくあろうとする自分は守れた気がする。
翌日、知人から次は食事会の誘いがあった。
丁寧な文章を意識して、緊急事態宣言が出たので遠慮すると返信した。既読にはなったが、それに対する返信はない。
おそらく、もう誘われることはないだろう。