インフルエンサーが肯定しない「存在」を「意味と重み」と一緒に肯定する。
インフルエンサーなる人々がいる。
意味は「影響や勢力、効果といった意味を持つ「influence」という英語が語源で、世間や人の思考・行動に大きな影響を与える人物のことを指」すんだそうだ。
ここ数日、炎上しているメンタリストDaiGoがインフルエンサーなのかは分からないけれど、そういう風に言う人をネット上ではよく見かけた。
メンタリストDaiGoを「世間や人の思考・行動に大きな影響を与える」ほどメジャーな存在と僕は思ったことはない。それは、ひろゆき、堀江貴文、古市憲寿、西野亮廣にも似た印象でもある。
そういえば、彼らは全員、本を出しているけれど僕は一冊も買ったことがない。多分、この先も買うことはない。
今回、DaiGoの炎上によって、インフルエンサーとして彼らの名前が引き合いに出されるのを何度か見かけた。
共通点を無理矢理みつけるなら、世間に正しいとされているものを腐したり、思っているけど大ぴらに言えない過剰な意見をあえて言っている人たち、という印象だった。
陰謀論っぽい言説には「俺/私だけが正しいことを知っている」という態度があって成立するのだけれど、DaiGoを含むインフルエンサーな人たちにも共通するものがある気がする。
正しさなんて、見え方や言い方、立場なんかによっても変わる。必ずしも正しいことを言うことが正しいとは限らない。
なんて、彼らの本を一冊も読んだことがない僕が何を言ったって意味はないし、あまり興味もない。
今回の炎上で僕が興味を持ったのは反応している人たちだった。その中で、武田砂鉄の「メンタリストDaiGoの主張を読む」というコラムが面白かった。
このコラムの中で「DaiGoの本に書かれている共通項は、自分は特別に凄いんだけど、これは誰もが獲得できるものではなくって、でも、それをおすそ分けしようではないか、というスタンスである。」というのがある。
どう考えても好きになれないスタンスだ。
そんなDaiGoの本を読んで武田砂鉄が感じた姿勢は「時間をかけてひとつの物事を考えることを回避する」というもの。
それは当然、ひとつの物事をじっくりと考えてきた人を軽視する態度によって構築される議論である。反省しました、では、続きまして、ずっと支援してきた人に話を聞きますね、という素早さは、反省ではなく、彼のこれまでの考えの延長にある。
結局、炎上した後のDaiGoはそれ以前と何も変わってはいない。おそらく、インフルエンサーたる所以はそこにあるのだろう。「自分は特別に凄い」訳だから。
個人的に自分を凄いと思っている人間に僕は興味を持てない。とはいえ、それは僕の感想にすぎない。
今回、色んな人がDaiGoの発言に反応した。そうやって話題になることによって、DaiGoはよりお金を稼いでいく、という構造になっている、と指摘する人も多々いた。
考えるべきは、どうしてDaiGoが「異常なまでの人気を博していた」のか、ということだろうと評論家の佐々木敦は指摘している。
評論家つながりで、杉田俊介はツイッターで以下のように発言している。
インフルエンサーは全てを功利的な損得(金、力、影響力)で推し量り、伝統や文化を破壊し、人類の尊厳や人権を嘲笑し、ろくに知らない分野に首を突っ込んで荒らし、現場の努力を踏みにじり、それら全てで自分が稼いでいく。そんなチートに憧れ、自発的に課金し、生き方を模倣していく精神の空洞…
杉田俊介が現状について絶望的な気持ちを抱いているのが分かるツイートだと思う。
同時に、そういう生き方に憧れる人間は多いので、似たような「精神の空洞」を抱えたインフルエンサーのような人たちは登場してくるのだろう。
それが良いとか悪いとかって言う話ではなく、今の世界はそういうものなんだ、という話。
インフルエンサーの本を一切読まず、動画も見ない僕は粛々と「伝統や文化」を学びつつ、「人類の尊厳や人権」を尊重し、「現場の努力」を尊敬して、精神を充実していくしかすることはない。
それでは、お金は稼げないんだろうけれど、ツイッターでCDBが言う「『多数派にウケそうなことを誰よりも過剰な表現で言う』というインフルエンサーバズ競争」なんかに巻き込まれることない平和な日々を過ごしたい。
評論家の若松英輔が「この国は「能力」を評価し、そこに意味と価値があると考えるようになった。」とツイッターで言い、以下のように続ける。
「私たちは、もう一度「存在」の意味と重みを学び直さねばならない。「存在」はつねに、評価の次元を超えて尊ばれなくてはならない。」
僕は僕が存在していることを肯定するし、他の誰かも肯定したい。僕も他の誰かも「頑張っている」から肯定するのではなくて、「存在」しているから「肯定」する。
若松英輔の言う通り、そこには「意味と重み」があるから。「意味と重み」のない「存在」なんて、それこそ存在しない。