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姫路の生活を振り返る「君と僕がーー“僕たち”になる時」

 姫路に住んで一年が経った。
 僕は今まで広島と大阪に住んでいて、その二つで比べると姫路は広島に近い街だった。これは単純に車社会ということに尽きた。

 実際、妻の移動手段は車で、それを前提に部屋を借りていた。そんな妻の部屋に住まわせてもらう形で同棲を開始したので、基本電車移動の僕から見ると結構不便な立地だった。
 どれくらい不便かと言うと、最寄り駅から徒歩で二十分、コンビニまで徒歩十五分という具合。最寄り駅から部屋まで帰る道は外灯も少なく、夜道は何も見えないに等しかった。
 途中にある自動販売機がもっとも明るい存在だった。

 一度、イヤホンでラジオを聞きながら帰り道を歩いていると、前から走ってくる自転車とぶつかりそうになった。
 自転車はライトをつけていたけれど、か細く全然気づくことができなかった。
 広島でも、こんな夜道を歩いたことないなぁと思って、徒歩四十分かかる駅から帰るようになった。こちらは大きな道で外灯も多く、帰りがけに寄れるスーパーもある。

 最初はまぁそれでも良いかと思っていたが、部屋に帰りつく頃にはヘトヘトになっているので、帰宅の途中までレンタルチャリを使うようになった。
 月々2200円。流石にこちらは個人負担だった。職場は交通費は全額支援してくれる。これだけで有り難いのに、更に部屋までの自転車代までは求めすぎである。

 結果、姫路から大阪に通う交通費代は少し足が出ていた。
 駅に到着してからレンタルチャリを使って部屋まで。
 このルーティンが出来てから格段に体と心に余裕ができた。新しい環境で生活することはやっぱり色々戸惑いとストレスを感じる。妻(当時は彼女)による、というよりは以前までの自分の生活とのギャップによる部分が大きかった。

 大阪の僕の生活は深夜の二時までお酒を飲むのが当たり前で、ずーっと友達と毒にも薬にもならないことを喋っていた。今から考えれば、よくもなぁそんなに喋る内容があったものだ、と思う。
 そして、それは今、妻にも感じる。四六時中一緒にいるわけではないけれど、毎日顔を合わせて喋る内容はまったく尽きない。喋れば喋るほど増えていく感覚すらある。

 最近、ディズニー+で「くまのプーさん クリストファー・ロビンを探せ!」を見た。そこで、プーさんとクリストファー・ロビンの会話に以下のようなものがあった。

プーさん 「一日で一番いい時に、丁度やってきたね」
クリストファー・ロビン 「一番いい時って?」
プーさん 「君と僕がーー“僕たち”になる時」

 プーさんってほんと哲学的な台詞の宝庫なのだけれど、ここはとくに良い。ほとんど冒頭だし。
 僕は妻と一緒に住んで、その間に結婚したのもあるかもだけれど、プーさんの言う“僕たち”になっている感覚がある。「一日で一番いい時」だ。この「いい時」がずっと続けば良いなと思う。

 さて、なんて書くと後で恥ずかしくなって、布団の中で悶え苦しむ未来が見えてくる。というのも、少し前に妻から「noteの記事、私が登場する回数多くない?」と言われた。

 読んでくださっていたんですね。はい。おっしゃる通りです。
 いや、でもですよ、もう僕の日常の大半が妻との日常なので、エッセイを書くとなると、そうなっっちゃうんですよ。勘弁してください。

 という変な言い訳をした後、具体的な日常的なことは書かない方が良いのかなぁと思ったりしている今日このごろ。エッセイで妻の登場頻度が減ってきた場合、そういうことですので、ご了承いただければ幸いです。

 あえて、増やすという手もある気はするんだけれども。
 とりあえず、姫路生活二年目に突入ということで楽しんで行きたい。
 

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さとくら
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