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観光客として住む、歩く、そして書く。

 安田謙一の「神戸、書いてどうなのか」というエッセイを読んでいる。一つ一つのエッセイが短く見開き一ベージで終わる。この短さが気軽な感じで良い。
 章は五つに分かれており、一章目が「食べたり呑んだり、神戸」で次が「ぶらぶら歩く、神戸」となっている。

 僕は姫路に住んでいて、神戸にはたまに行く。友達とご飯とか、休日に妻と遊びに行くとか、そういう時に神戸に赴く。ちょっと特別な日に行く街。
 そんな印象がある。
 考えてみれば、初めて妻とデートをしたのも神戸だったし、妻の両親と初めて会う日に持っていくお菓子を買ったのも神戸だった。実感はなかったけれど、僕は神戸に大変お世話になっている。
 とはいえ、神戸のことはあまり知らないし、この先詳しくなったり馴染んだなぁと思える日が来る気はしない。

 姫路に引っ越してくる前は大阪に住んでいた。十八歳の時に十三、二十歳に新大阪、二十三歳で茨木、二十六歳で吹田と転々とした。
 基本的に三年で引っ越しをしていて、ここが僕の大阪だという場所はとくにない。一つ一つに思い出はあるけれど、街を語れるほど馴染んだという実感もない。
 それは今住んでいる姫路も同様だ。ただ、妻は生まれてからずっと姫路の人だ。僕と知り合った時は一人暮らしをしていて、それも姫路市内だった。
 街を語る資格が必要だとすれば、やはり長くそこに住むことじゃないかと思う。でなければ、観光客の視点でその街を語る他なくなってしまう。
 僕は大阪に十三年住んだけれど、心のどこかには常に外から来た部外者という気持ちがあった。今も姫路で過ごしている中で、似たような感覚に餃子の餡みたいに包まれることがある。

 考えてみると一つには言葉の壁がある。僕の地元は広島で、大阪に出てきて二年弱で広島弁が喋れなくなった。弟から「裏切りもの」と言われた。
 広島弁が喋れないからと言って、大阪弁が喋れるかと言えば、そうでもない。友達連中から変な関西弁と散々言われた。その後、コールセンターで働いたこともあって、喋り方が標準語で固定されてしまった。
 そのおかげで、妻のお父さんからは「郷倉くんは綺麗に喋るね」と褒めてもらった。たぶん、褒め言葉だったと思う。

 姫路は播州弁というらしい。今後も使えないだろうし、部外者というか観光客な視点でしか大阪や神戸、姫路を見ることはできないような気がするけれど。
 それはそれで気づけることがあるんじゃないかと期待しつつ、日々を過ごして行こうと思っている。

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さとくら
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