【小説】西日の中でワルツを踊れ⑫ 死者とは一人ずつ会う、そういう約束。
私が初めて死者を見たのは小学校に上がる前でした。
親戚の集まり、曖昧ですが祖母の三回忌だったのでしょう。
そこで私は祖母を見ました。話もしました。
しかし、大人たちは祖母を見ていませんでしたし、話もしていないと言いました。
最初は気のせいだと思いました。
大人もそうだと言いました。
けれど、祖父だけは「気のせいじゃないよ」と言ったんです。今考えれば、祖父は祖母の名を呼び、祖母のことを考え続けていたんです。
私の力は、私の意思とは関係のない法則によって成されています。
だから、自覚がないままに私が祖父と死者の祖母を会わせていてもおかしくなかったんです。
祖父は妻の姿がまた見れて、そして彼女の笑い声が聞けて嬉しかったと言いました。
私もまた祖母を見て話をしたと言うと、彼はやはり嬉しそうにしていました。
その祖父も祖母の三回忌の半年後に交通事故で亡くなりました。彼の葬式に参列した私は、やはり祖父を見ましたし話をしました。
「お前はもしかすると死者が見える人間なのかも知れないね」
祖父はそう言いました。
葬式の会食の場で、私は隅っこで祖父とずっと私の力について話をしました。日常生活で死者を見たことはなく、見るとすれば三回忌や葬式。
故人を思う人間が集まる場所で死者に会う。
最初の結論はそれでしたが、すぐにそうではないことが分かりました。
家に帰っても私は祖父の姿を視界にとらえ、会うことさえできたのです。
祖父は母に憑いていたんです。
私の力は他人を通して死者を見て会うものです。
だから、母が居ない時に私は祖父に会うことは出来ませんでした。母と祖父の話をすると、死者の祖父が現れてくれる。
そんなことを繰り返しているうちに、母も祖父と会うようになりました。
ただ、どうしても三人一緒に会うことは叶いませんでした。
祖父いわく
「死者とは一人ずつ会う。そういう約束ごとがあるのかも知れないね」
とのことでした。
私は母と祖父の話をよくしました。
父の話をしたので分かると思うのですが、私は母子家庭で身近にいる男性がいない生活でした。だからでしょう。
祖父が私に構ってくれることが嬉しくて仕方がなかったんです。
死者である祖父に聞いたことがあります。
私や母と会う時以外の時間、祖父は何をしているの? と。
祖父は子供みたいに笑って「歩いてるんだよ」と言いました。
「山の中に死者の列があって、その中をただずっと歩いているんだ」
「どうして?」
「ん? さぁね。皆そうしているから、そうしているだけだがね。まぁ、じっとしているよりは健康的だろ?」
死者に健康があるのか、と私が尋ねると祖父は大真面目に頷きました。
「あるよ、紗雪にもあるだろ? 心の健康というヤツだよ」
なるほど。
小学生の頃の記憶は母と喋るか、祖父と喋るかの記憶しかありません。学校では私のような人は嫌われて居場所がありませんでした。
あぁ私のような人と言っても分かりませんね。
人と上手く会話ができず運動も得意ではなく、ただ一人で居ようとする子供、それが幼少期の私でした。
今もそれほど人付き合いができる、という訳でもありませんけど。
そんな私の小学生の記憶は六年生の夏に途切れます。
母が死んだんです。母が居なければ祖父に会うことはできません。
私は母の死によって、最も親しい血縁者を同時に失いました。
母が憑いた人を探せば彼女とまた喋ることができる。
そう思った私は葬儀場に集まった色んな大人をかき分けて母を探しました。
そして、ようやく母と会えた時、彼女に憑いた男と会いました。
それが父でした。
父は私を一瞥するだけで、私が普通じゃないことを見抜いたように感じました。それは直観に近いものでしたが、同時に私は思いました。
この人に関わっちゃだめだ、と。
母が声を出さず、ごめんねと言ったのが分かりました。
「澄子の娘だな?」
と父が言いましたが、私は答えられませんでした。
父は構わず続けます。「お前、今、澄子が見えてるな?」
やはり、私は何も言えません。
「話は澄子から聞いてるよ、紗雪。お前は黙って目を瞑れ」
言われた通りに目を瞑ろうとした、
その一瞬、母が笑ったような気がしました。
しばらく私は目を閉じた暗闇の中で一人、じっとしていました。
母は生前、父についてあまり多くを喋りませんでした。
私にとって母との生活で起こる多くの不都合や不幸は父の不在からくるものだと、子供の勝手な押し付けとして考えていました。
だから、私が父を忌まわしく感じるのと同じ熱量で、母も彼を憎んでいると思っていました。
しかし、死んだ母がとり憑く相手に選んだのは父でした。
母はもしかすると父のことを愛していたのかも知れない、その疑念は私を孤独にさせました。
私が普通の子供であれば無邪気に父を悪者として、母を味方と思い続けることができました。
死者と会う力があるせいで、私は母に裏切られました。
少なくとも当時の私はそう考えました。
「もう良いぞ、紗雪」
そう言われて、私は目を開きました。
父は最初に見たよりも、少し戸惑っているように見えました。
私たちは丁度、廊下の隅で話をしていて人通りがまったくない訳じゃありませんでした。
父が短い舌打ちをすると、私を外へと連れ出しました。
ベンチの横にある自動販売機に小銭を入れて、父は「何が良い?」と尋ねました。
「オレンジ、ジュース」
と私は答えました。
「はいよ」
言うと、父は缶のオレンジジュースを買って手渡してくれました。父は缶コーヒーを選んで、そこで二人並んで缶に口をつけました。
葬儀場の建物は山の近くにありました。
祖父は死んだ後、山の中を歩いていると言いました。
母もまた祖父の言った死者の列に加わって歩くのか、と思いました。
それはどこか淋しい想像でした。
「澄子と話した」
唐突に父は言いました。「結果、お前は俺の知り合いに預けることにした」
「知り合い?」
「そうだ。キンモク荘という旅館の女将をやっている知り合いなんだが、まぁいい女だから、何の心配もしなくて良い」
いい女、という言葉を当時の私はそのまま受け止めていました。
けれど、今から考えれば私は父の愛人の下でお世話になる、ということでした。
それが分かっていれば、もしかすると私は少しは抵抗したかも知れません。
愛人からすれば父の子などと一緒に暮したいはずがありませんから。
ただ、それは後になって考えたことで、その時はただ言われるがままに私は頷きました。
「よし」
父は頷いた後、「紗雪。お前のその力、あんまり他言はするなよ」と言いました。
「はい」
と頷いた後、喉に引っかかった魚の骨を取るように口を開きました。
「でも一つだけ」
「なんだ?」
「母は、貴方になんと言っていましたか?」
父はすぐには答えませんでした。
缶コーヒーを全て飲み干し、ゴミ箱に捨ててから
「許さない」と。
「死んでも許さない、だとさ」
母がそんなことを言うのは意外で私は父を見上げました。
父も私を見ました。
そして、笑いました。
「ホント、いい女だよな。澄子は」
第二の家になる旅館キンモク荘の女将、鶴子さんは私を温かく迎えてくれました。
田舎の山の上にある旅館でした。
看板には温泉もあると書かれていました。
「自分の家のように過ごしてくれていいからね」
鶴子さんは笑って、そう言ってくれました。
「ちなみに、紗雪ちゃん。うちの旅館の名前、どうしてキンモク荘なんだと思う?」
「わかりません」
あっさりと答えてしまった為に、鶴子さんは困ったような笑みを浮かべた。
私は少し悩む仕草くらいすべきでした。
鶴子さんは僅かに視線を逸らしてから言いました。
「庭にキンモクセイがあるの。秋には花を咲かせて、とても綺麗なの、秋のクリスマスツリーって感じかな。だから、楽しみにしていてね」
鶴子さんの言う通り、庭には立派なキンモクセイがありました。
そして実際、花をつけたキンモクセイはとても綺麗で、確かにそれは秋に見るクリスマスツリーみたいでした。
旅館での生活は楽しかったです。
鶴子さんは本当に良くしてくれましたし、従業員の方々からも可愛がってもらいました。
旅館は山の上にあるので、中学校に通うのは少し苦労しましたけど、山の中腹くらいから見下ろせる町は四季によってその姿を変えて飽きません。
そんな日常を壊したのは、私が中学二年の頃に起きた一つの事件でした。
旅館のある部屋で一人の男性が首を吊って死んだんです。
旅館に泊まる為に記入された住所も電話番号も出鱈目でした。
鶴子さんはその男性が亡くなった部屋をクリーニングした後に、お祓いをして、開かずの部屋としました。
男性の遺体は警察に引き渡しましたが、ひと月が経っても身元は分かっていない、ということでした。
私に何ができるという訳ではありませんが、従業員の何人かはその男性を気味悪がりました。
理由は分からないということでした。
身元も死んだ理由も分からない。
不明瞭で、どこまでも悪い想像ができてしまう死体があった旅館。
そのような理由から一人の従業員が辞めました。
一番若く明るい女性の方で、由香里さんと言いました。
私に本やCDをよく貸してくれる人でもありました。
由香里さんが辞めたことをきっかけに、旅館から以前まであった活気というものが消えてしまいました。
私は死者に怯えた経験はありません。
それは見えるからで、会えるからです。
部屋で自殺した男性は名前が分からない以上、私の力でどうにかなる範疇ではありませんでした。
けど、由香里さんの方は私の力を話すことで、死者は怖くない存在だと教えることはできる、そう思いました。
少なくとも由香里さんが怯える理由は分からないことのはずでしたから。