小説を書き続ける為の訓練と、関係ないけどバトミントンしたい。
今回の問いって「訓練としての読書や視聴」とかしてますか? ってことなんですけど、訓練ってつまり目的があって、成立するものなんですよね。
で、まぁ僕は小説を書き続けたいなぁと思っていて、死ぬまで書けたら幸せだな、あわよくば、それが仕事になったら良いなぁ、くらいの感覚でいるんです。
ただ、ちゃんと考えると、ずっと一人で小説だけを書いている人生は結構やだなって思うんですよね。だから、死ぬ前までに、これがあれば幸せだなってことは何だろ? と考えてみたんです。
一年に一回で良いので、サッカーかバトミントンをしたい、でした。
それこそ実家にいた頃は弟とよくやってたんですよね。サッカーかバトミントン。
なので、弟に子供ができたら、お年玉争奪戦ということで、バトミントン勝負を挑むめんどくさい伯父になってやろうと思います。
というのとは、まったく関係のないエッセイが以下に続きます。一読いただければ幸いです。
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昔、ライターお茶会に参加した時に、難解な文学として「古井由吉」の名前が出されていました。
古井由吉が亡くなった時に、そのことを思い出しました。
いわゆる文学や評論と言ったものは、読んだその瞬間に楽しめたり、読んで良かったと感じにくいコンテンツになっていると思います。
けれど、ある程度の訓練をすることで、文学や評論というものを楽しむことはできるようになります。
それは文学や評論に限らないことだと思います。
何かを楽しむ為には、ある一定量の努力が必要になってきます。
僕は小説を書いている訳ですが、自分の中に「書く自分」と「読む自分」がいると思っていて、どんなに良い文章を書いても「読む自分」のレベルが低かったら、それがどういう風に良いのかが理解できず、ただなんとなく好きな文章という好みの話になってしまう気がしていました。
なんとなく好きな文章だからと、それを書き続けても良いのだろうか?
と、ある時から思うようになりました。
一つの小説を読んで、何がどのように優れているのかを(好きとか嫌いではなく)、言語化できるようになっている方が良いんじゃないか。
できないよりは絶対いいだろう。
というような理由で、僕は難解な文学も楽しめるような訓練をしようと思うようになりました。
多分、二十一歳くらいの頃です。
その際にまず手に取ったのが、村上春樹の「若い読者のための短編小説案内」でした。
この本では第三の新人という戦後作家の短編小説が紹介(評論?)されていました。僕はこの本で紹介されている短編を全部読んでみることにしました。
手に入れるのに最も苦労して、かつミステリアスで面白かったのは丸谷才一『樹影譚』でした。
読んだ後、理解できたとは到底言えないのですが、「カッコイイ」と声が出たのを今でも覚えています。
今のところ丸谷才一の小説を読むと、毎回「カッコイイ」って言っています。
ベストは「たった一人の反乱」かなぁ。めちゃくちゃ長いんだけど。
話がズレました。
結局の話なのですが、好きと嫌いだけで作品を選んでいると偏るように思うんです。
だから、「読む自分」を鍛えて好き嫌いではない部分で、作品を選べるようになっておきたい。
と思って、日々勉強しています。
それが回りまわって「書く自分」にも影響を与えてくれて、良い小説が書けるようになるんじゃないかな? と思っています。
最後になって、ふわっとしたことを書いている気がします。
多分、全然小説が進まないので、自分で書いていて嘘なのでは? と自分を疑いだしているようです。小説を書いていると情緒が不安定になっていけませんね。
これを読んでくださっている方は、自分が書きたいと思うことの為にしている訓練とかありますか?
サポートいただけたら、夢かな?と思うくらい嬉しいです。