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【対談】人生を狂わす実写化映画の地図 2010-2020「2012年を語る」④

前回

『郷倉』

 ここ数日、返信できず本当に申し訳ありません。

 頭痛がやばくて、コンタクトレンズをやめたり、父親から家のローンを払い終えたという連絡があったり、保護犬カフェへ行ったり色々していました。
 けれど、大きな理由は、どう返信するか結構真面目に悩んでしまったからです。

 こういう時、思い付きでぱぱっと書いてしまえれば良いのですが、僕の中にいる編集者的な郷倉四季が「お前は手を抜いてもまともなものが書ける実力があるのか?」という圧をかけてきて、いえ! そんな訳ありません。

 ということで、結構ガチ目に考えていた次第です。

 けど、マジな話、僕自身が小説を書けていないのに、どの口が創作者の方にオススメとかしてんだよ、って話なんですよね……。

 とはいえ、書くからには読んで下さる方に有益な情報を提供できればと思います。

 さて、WEB小説で終わりを見失ってしまう人に見て欲しい映画、ということですが、まず前提として、どうしてWEB小説って終わりを見失ってしまうんでしょうか?

 例えば、ラブコメ作品であれば、主人公とヒロインが結ばれて終わります。続けるにしても結婚したり、子供ができたり、というアフターストーリーがあるくらいで、それほど続けられる訳ではありませんし、主人公を交代するにしても、永遠と続けられる訳ではありません。

 ここで、終わりを見失う要因となるのは、舞台が現代ではない、ということが重要になって来るような気がします。

 総じてファンタジー作品が終わりを見失ってしまう要因になっているように思います。
 と行っても、舞台が現代でファンタジーな作品もあるので、一概には言えない部分ではあるのですが。

 実は現代のファンタジー作品って終わりのない、ある種の永遠性を含んでいる部分があるんです。
 多くの人がファンタジーと言われて、思い浮かべるのは「ドラゴンクエスト」になるかと思うんですが、それを作った堀井雄二は「僕はゲームの本質を、狭い固定された現実の世界を忘れ、別の自分、別の人生を体験することだと思っている」と語っています。

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 その上で、「何をすべきかがプレイヤーにすぐ分かるように、目的をゲームの冒頭で提示し」ました。
「ドラゴンクエスト」は別の人生を体験する為に作られていますが、そこで最初に教えられるのは「竜王を倒せ」という「ストーリー上の目的」なんです。

 つまり、「ドラゴンクエスト」が提示した別の世界とは、プレイヤーにとっての新しい現実ではなく、「物語としての現実」だったんです。

 で、この「物語としての現実」を生きる要素をもっとも濃く受け継いだジャンルが「異世界転生もの」なんだと思うんですよね。

 ほぼ最初から最強レベルで物語世界を「攻略」して行くことを「異世界転生もの」の読者たちは楽しんでおり、そこで「別の自分、別の人生を体験」しているので、終わりは別になくとも良い。

 書いている側も、それが薄々分かっているから、終わりの想定がないような作品が多い気がします。

 そんな作品を如何に綺麗に終わらせるか、という点で、紹介したい映画作品として浮かんだのは、岩井俊二の「リップヴァンウィンクルの花嫁」でした。

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 ちなみに、リップ・ヴァン・ウィンクルは昔話で、旅先で出会った小人に酒をご馳走になります。あまりに美味しいお酒なので、飲み過ぎて寝てしまい、目覚めると数十年経ってしまっていた、というものらしいです。

「リップヴァンウィンクルの花嫁」という映画も、そういう内容なんです。
 1時間58分ある映画なのですが、そこで主人公の皆川七海が体験したことは、お酒で酔っ払って見た幻だって思うくらい荒唐無稽で現実感がない内容だったんですよ。

 と言っても、現実感がなくとも皆川七海はその荒唐無稽な内容を覚えているし、その体験が今後の彼女の日常を彩ることは間違いない、という予感で映画は終わるんです。

 言ってしまえば、「ドラゴンクエスト」だったり、「異世界転生もの」は荒唐無稽で現実感がなく、同じゲーム(や小説)をプレイした同士でしか共有できないものですが、心の内に「物語としての現実」は残り続けるんですよね。
 僕はそれが結構大事なことだと思っています。

 なので、僕の提案は日常への帰還です。
 言い換えれば、スタート地点と殆ど同じ場所、です。

 どんな体験をしたとしても、毎日の地味な日常は変わりません。世界を救おうと、ファンタジー世界で特別な地位につこうと、学校に行き、仕事へ行き、家事をしないといけないのは変わりません。

 その変わらなさの中で、ファンタジーな体験が「物語としての現実」として僕たちの心の内を彩ってくれるのだろう、という予感で終わるのは少し勇気がいるかも知れませんが、理に適っていると思います。

 ゲームはいつか終わります。
 物語も当然、いつか終わるんです。

『倉木』

 スタート地点と同じ場所に戻るってのは、大きな力を手に入れて失う。みたいな、いわゆるオチものの作品に共通した物語やね。

 ただ、全く同じ地点ではオチがついてないので注意が必要かも。
 はた目には変化がなくても、内面は変わってればオチがつく。それこそ、主人公が口癖を発する際の意味合いが変わっているだけでも、変化があったってことでオチがつく。

 無論、後ろ向きな変化があって終わっていい。
 たとえば、とある異世界転生もののチート主人公が転生前の日常に戻った。チートで無双して無自覚に手に入れた傲慢さから、闇金ウシジマくんみたいなのに巻き込まれるオチがあってもいいんじゃないかな。

『郷倉』

 そういえば、異世界から日常への帰還を果した主人公が不幸になる話として、秋口ぎぐる先生の「いつか、勇者だった少年」がありましたね。

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 さて、おっしゃる通り、全く同じ地点への着地は結末として美しくありません。
 倉木さんが提案するような変化を見せるべきだと僕も思いますが、大前提としてまったく同じ場所になってしまった場合は、書き手の実力だったり、物語がそれを求めていたり、という理由もあります。

 なので、結末が全く同じ地点だった場合は、なぜそうなったのか?という点を考えてみると、良いかも知れません。

 多くの方が言っていることですが、完結しないと他人に物語の評価をしてもらうことができないんです。そして、それは自分という読者に対しても、同様のことが言えます。

 完結させてから考える。
 結構大事だと思っています。

 あと、今回の対談の中で倉木さんが「宇宙兄弟」に触れた際に、「上質な打ち切り作品。」という表現をされています。

 物語を終わらせる、という点で言えば、連載漫画の打ち切り。
 そういった方向での終わりがWEB小説界隈にあっても良いのかも知れませんね。
 連載漫画のような制限はありませんから、力の限りの「上質な打ち切り」を書いてみていただきたいものです。

『倉木』

 というか、長編小説を、想定したオチで完結させるという経験は極めて重要だと思う。
 いや、言葉を選ばずにいえば、気持ちがいい。
 長編小説を苦労して書ききったとき、脳から変な汁が出てると思うよ。
 脳汁があふれるのは、セックスとはまた違った気持ち良さがあるから、みんな完結させようね。

『郷倉』

 今回お互いに紹介していった作品は「ヒミズ」「荒川アンダーザブリッジ」「宇宙兄弟」「るろうに剣心」「闇金ウシジマくん」となっている訳ですが、2021年から振り返って重要な作品を決めたいと思います。

 個人的に2021年現在「るろうに剣心 最終章 The Final」が上映されている為、2012年まで戻って「るろうに剣心」を評価というか、推す必要がないかな?と思っています。

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 となると、「闇金ウシジマくん」か「ヒミズ」になります。
 僕が対談の中で語るターンでは「ヒミズ」を見ていなかったので言及できていなかったのですが、良い映画でした。
 さまよう暴力みたいな話で。

 どうしても、3.11を意識した作品に思えてならなかったのですが(実際、監督のインタビューとか調べると死ぬほど意識したっぽいんですが)、その背景がなくとも、一度見ることで自分に置き換えて考えてしまう引力のようなものを持つ映画だと思います。

 それは、「闇金ウシジマくん」にもあるものなのですが、「ヒミズ」の方がより切実な引力を持っている気がします。

 ということで、2021年現在から振り返って重要な作品は「ヒミズ」を推したいと思います。

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『倉木』

 ヒミズは、この企画段階で掘り下げたかった作品やし、なにより園子温作品で、三本の指に入るぐらい好きな映画です。

 ヒミズが重要でいいと思う。
 ただ、どうやって掘り下げるべきか。

『郷倉』

 僕なりの「ヒミズ」の重要さをまず、語ってみたいと思います。

 佐々木敦の「未知との遭遇【完全版】」の中で、ヒミズに触れている部分がありました。

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 それは以下のような内容です。

 ヒミズというのは、一種の妖怪というか、怪物の名前です。この怪物は住田にだけ見えるのですが、物語の中に何度か現れる。それが住田にとっては、いわば自分から「普通」を奪う何ものかの象徴であるように見えるのです。

 書いてある通りですが、佐々木敦の解釈ではヒミズは「普通」を奪っていく何か、です。
 しかし、映画にヒミズという怪物は出てきません。ただ、主人公の住田は「普通」を奪われているし、彼が父親を殺した後に練り歩く街の人たちも同様に「普通」を奪われているように見えます。

 ここにはやはり、「ヒミズ」が上映されたのが震災後の2012年で、撮影は2011年だったことに起因すると思います。実際、園子温のインタビューの記事などを探すと、以下のような内容がありました。

 10年前に連載が開始された原作について「終わらない日常の退屈さ、虚しさみたいなものが若者の意識の中にあった」と語る監督。それが「3月11日の震災を受けて、“終わらない日常”から”終わらない非日常”が当たり前になってしまった。そういう若者を描きたかった」とシナリオ変更に至った心情を明かす。さらに被災地での撮影について「多くの人に撮影を止められ、自分の中で葛藤はありながらもここで現地に入らなかったら一生後悔すると思い、被災地での撮影に挑んだ」と説明した。

 ウィキペディアなどで調べてみると、原作とは大幅なシナリオの変更があったことが窺えます。とくに大きな部分としては、怪物のヒミズが削られたのと結末でしょう。

 ネタバレには何の意味もないと思いますので、結末を書いてしまいますが、漫画原作の住田は死んでしまうんです。
それが「終わらない日常の結末」だったんです。

 そして、2012年の映画「ヒミズ」は「終わらない非日常の結末」として、住田を生き残らせます。

 映画のラストは、ある種の爽やかさすら感じます。
 生き残った住田はヒロインに励まされながら、河川敷を走っていくのです。果てのない非日常を彼は生き続けるのであって、それはある種の地獄です。

 住田の地獄めぐりのはじまりです。
 もし仮に2021年に住田が生きていたとしたら、彼は愕然とするのではないでしょうか。

 3.11以降終わらないと思っていた非日常の底がコロナウィルスによって更に抜けてしまった訳ですから。

 しかし、この底が抜けたコロナウィルスはいつか終わることが決まっているものではあります。もちろん、コロナウィルスが残していくものは、おそらくこの先何十年と残り続けるでしょうが、形だけの日常は戻ってきます。

 そんな不安定な日常の中で、2021年版「ヒミズ」が描かれるとしたら、住田は普通を奪っていくヒミズという存在と如何に戦っていくのでしょうか?

 そういう問いを立てた上で、ヒミズを見ていただくのはどうかな?と個人的には思います。

『倉木』

 インタビュー記事を読んでから、うがった頭で考えると、原作漫画の時代背景と映画撮影時の時代背景とで、救いのある結末と地獄の結末の形が変わったのではないかと思った。

 原作と映画では、住田の生死が変わっているものの、個人的にはどちらも同じ意味のエンディングを描いたように感じた。

 つまり、戦時中に大勢が死んだ中で一人生き残るのと、平和な時代に一人だけ殺されるのは、本質的な部分で同じ哀しみ不幸があるように。

 原作漫画の時代(2001年~2003年)から、映画が撮影された震災直後の2011年では、それこそ死との向き合い方が変わってしまったのかも。

 コロナと戦う2020年以降では 、死を選ぶ結末と生を選ぶ結末のどちらがハッピーエンドと呼べるのか。

 そんなことを考えてしまうほどに、ヒミズの空気感は凄まじいものがあるので、やっぱり観てもらいたいよね。

 仮に同じ意味合いの結末を目指すために、原作改編に至ったのなら、ハリウッド映画なみにせめてるよなぁ。

『郷倉』

 倉木さんがおっしゃる通り、時代性を見て原作と同じ意味合いの終わりを目指した結果が映画のあの河川敷を走り出すシーンだったんじゃないか、と思います。

 ちなみに、園子温は2011年の頃って50歳くらいなんですよね。

 すでに「愛のむきだし(2009年)」、「冷たい熱帯魚(2011年)」を撮った後なんですね。

 個人的にですが、2011年の園子温はもっとも研ぎ澄まされた時期であり、3.11という震災があった中で、「やるべきこと」を園子温は確かに掴んだんだと思います。

 その後に「希望の国」を撮っていますし、コロナによる自粛期間がはじまった2020年の夏に『緊急事態宣言』なるオムニバス映画も発表しています。

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 正直な話ですが、3.11にコロナのパンデミックと言った大きな物語を語る園子温より、「愛のむきだし」だったり、「冷たい熱帯魚」という新聞の片隅で起こるような事件に対してアプローチする物語群の方が好きでした。

 あくまで物語作家としての園子温の独壇場は大きな物語よりも、小さな物語の方にあると思うので。

 とはいえ、園子温は3.11を無視すべきだったとも思いません。
 少なくとも、映画の「ヒミズ」は物語内で明言こそしませんが、根底には震災があって、その上で住田という小さな物語を誠実に語っています。

「ヒミズ」は本当に絶妙なバランス感覚で物語を保っているように思うのですが、その後の園子温の作品は大きな物語、社会派に引っぱられすぎて、小回りの利かない大振りな作品ばかりになってしまった印象があります。

 なんて、園子温論をここで語っても仕方がないんですが、「ヒミズ」という作品を語る上で園子温という多作な映画監督の中でも、ひときわ出来が良いことは間違いないと思います。

 ということで、2021年から振り返って重要な作品は「ヒミズ」にしておきたいと思うんですが、倉木さんの方で付け加えておきたいこと。
 また、オススメの園子温作品などあったら、教えてくださると嬉しいです。

『倉木』

 ヒミズ論に関しては、いっぱい語ってもらえたので、園子温作品のオススメをして終わろうかね。

 僕は紀子の食卓で衝撃を受けて、愛のむきだし、冷たい熱帯魚と、レンタル開始と同時に追いかけていきました。
冷たい熱帯魚のあたりで、世間の評価をむちゃくちゃ得ていたイメージなので、そこから満を持してのヒミズだった。

 ヒミズ以降の意見は、共通してる。もう、あの頃のキレキレな作品は見えんのかなと思いながらも、新作が出る度に追いかけてた。
 他の邦画よりは面白いけど、黄金期と比べたらなんだかなぁって感じやった。
 けど、2019年にNetflixで配信された「愛なき森で叫べ」で、キレキレの園子温がかえってきてたよ。

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 愛なき森で叫べ、は園子温お得意の実際に起きた事件から着想を得た作品。
 同じ事件に着想を得たエピソードが闇金ウシジマくんにもあって。洗脳くんというテレビドラマで1シーズン使った話もあります。

 ノンフィクション作家・豊田正義の「消された一家北九州・連続監禁殺人事件」を読んで、元の事件をある程度理解していたこともあって、愛なき森で叫べの着地のさせかたは見事だった。
 歴史ものの創作物みたいに、起きる事件は史実通りでも、人間の感情をどう描くかで、作家性が出るし、これがセンスというものかと勉強になった。

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 郷倉くんにはオススメできるが、苦手な人もいるジャンルなので、視聴は自己責任ということで。

『郷倉』

 愛なき森で叫べ。
 見なくちゃですね。色々準備しているんですが、未だにネットフリックスまで辿りつけないんですよね。。。
 具体的にはクレジットカードを持っていないので、支払が面倒臭くて、カードの審査は通ったので、近い内に送られてくるとは思うんですが。。。

 報道された事件って事実だけの羅列なんですよね。その奥底に人間の感情や関係性が複雑に絡み合っているはずで、それはニュースの報道だけでは掬いあげることができない、なんて言うのは手垢のついた話ですが、その為にノンフィクション作家や小説家、映画監督が想像力を発揮するんでしょうね。

 小説や映画が如何に現実を映すべきか、と言うのは作品作りをしていく上で逃れられないテーマなんだろうなと思います。

 厄介なのは、この現実が常に形を変え、姿を変えて行く部分で、今回のように振り返れば好き放題に言えるけれど、変わっている渦中では気付けないことだらけだったりするんですよね。

 それでも、変わっていく現実に食らいついていかないと、「LGBTはまわりにいない」からって見当違いな発言をしてしまう政治家みたいになってしまうんだと思うんです。
 ああいう姿を見ると、絶望的な気持ちになるんですよね。

 そういう現実とフィクションの関係性については今後も、語って行ければと思います。

 さて、2012年はこんな感じで、終わって大丈夫でしょうか?
 よろしければ、園子温作品で僕は「愛のむきだし」が大好きなので、倉木さんのオススメ箇所などあったら、簡単に言っていただけたら嬉しいです。

『倉木』

 愛のむきだしのオススメ箇所といえば、終盤のシーンです。
 主人公が勃起するシーン。
 文字で書けば、倉木なに言ってんだよ。って感じでしょうが、マジでこのシーンが最高なんです。視聴済みの方ならば、共感してくださるかたもいると信じています。
 この映画は、何時間もかけて物語を転がすことによって、終盤の主人公が勃起するというギミックで、視聴者を感動させられるつくりになっている。見事な脚本と演出です。
 主人公が勃起した瞬間に泣ける映画をオススメしてくださいというテーマがあれば、この作品一択かもしれない。

 常識や普通といったものに縛られるのが嫌いな僕であっても、勃起と感動はかけ離れたものだという認識はあります。
 こういった生きている上で壊せない常識を、作品内ならぶっ壊せるというのは、実に面白い。清々しくもある。
 息苦しい時代になったとしても、作品において絶対に必要なテーマに昇華できれば、勃起して涙腺崩壊も、創作では許されるのです。


 “編集後記”

【郷倉】
 表記は郷倉四季なのですが、そう名乗るっている頃にやりとりをしていたので、そのまま行きました。次回からは『さとくら』明記に致します。読んでいただく方には、とくに何の影響もないことですが、一応の報告です。

【倉木】
 今回も大幅カットした内容があります。互いの意見がぶつかりあうと、その瞬間は感情的になったりすることもある。けれど、振り返った時、衝突し合った中にこそ、作品のテーマ、深みに繋がる部分が隠されていると感じます。


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さとくら
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