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靴下を履いて、いくつもの週末を待つ日々。
「今日は部屋で靴下を履いてるんだね」
と彼女に言われて、そういえばそうだなと思う。
どうして? みたいな目で彼女に見られて、とくに理由がないことに思い至る。
一緒に暮らし始めた彼女は部屋の中で靴下を履かない。多分。もしかしたら時々履いているかも知れないけれど、僕の記憶の中の彼女は部屋では裸足だ。
僕が一人で暮らしていた時、どうだったろう。
履いたり履いていなかったりだった気がする。夏は蒸れるから履いていなかったかも知れない。逆に冬は寒いからずっと履いていたかも。
最近、一人で暮らしていた頃の記憶が遠い。
子供の頃の夏に去年の冬を思い出そうとする感じ。
覚えていないわけじゃないけれど、初めての出来事と考えることがいっぱいあって、たどり着きたい記憶まで届かない。
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リビングでうたた寝していると、
「靴下、履いたまま寝るの?」
と彼女が言った。
うーん。
さぁ寝るぞって思う時は脱ぐけど、この後、眠気が消えて何かする時に靴下は履いていたいかも。
と思ったけれど、彼女には曖昧な返しをした。
彼女と一緒に暮らし始めて、僕はいろんなものを曖昧に判断して行動していたんだな、と思う。そして、それが彼女には不思議に映るんだなとも分かった。
江國香織の「いくつもの週末」には以下のような言葉がある。
誰かと生活を共有するときの、ディテイル、そのわずらしさ、その豊かさ。一人が二人になることで、全然ちがう目で世界をみられるということ。
彼女との生活によって世界が変わったというよりは「全然ちがう目で世界をみ」るようになった。
とはいえ、僕は彼女と生活をはじめてまだ一ヵ月と少し経ったに過ぎない。気づくことは多いけれど、結論めいたものを書くには少し早いなと思う。
今の僕は以前までの生活の中で、改めてこれは必要だなとか、これは今はしなくていいやつかも、と整理している状況というのにしっくりとくる。
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2013年のユリイカの7月号の特集が「女子とエロ・小説篇」だった。
その中で「窪美澄×山内マリコ:ダウナーなルーザーのための小説」という対談があった。
特集のタイトルからして、想定された読者は女性であることは分かっているのだけれど、「女による女のためのR-18文学賞」が好きで僕は本紙を購入した。
対談の中で山内マリコが「やっぱり我々の世代は結婚にそんなに夢が持てないので、ぽわーんとしたロマンチック・ラブ・イデオロギーで結婚に飛び込むってことができない」と語っていて、その理由として「同世代の男の子はいわゆる昭和の近代家族で、専業主婦のお母さんに甲斐甲斐しく世話焼かれて育っているので、お母さんがしてくれた家事サービスを自分もタダで受けられると思ってそうですよね」と言うものだった。
その上で
山内 結婚って、男性としかタッグを組めない。なのにタッグを組む相手がこんななのかーって(笑)。
と語っていた。
ちなみに、山内マリコは1980年生まれ。
僕よりも10ほど年齢が違う。
彼女と一緒に住もうと思った時に、浮かんだいくつかの言葉の中に山内マリコのものはあった。
「タッグを組む相手がこんななのかーって(笑)。」って思われないように彼女と生活したいな、と。
いや、まぁ同棲と結婚は全然違うと言えばそうだから、僕の感覚は的外れかも知れないけれど。
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最近、エッセイのネタ探しに改めて、よしもとばななの「デッドエンドの思い出」を読んだ。
その中で、主人公のミミが居候させてもらっているお店の雇われ店長、西山くんに「その場所で大きな輪を作っていけばいいんだ。君にはそういう力があるし、それが君の人生なんだから」と言われるシーンがあった。
僕は彼女の住んでいた部屋に引っ越して、今は一緒に住んでいる。それは彼女のお仕事の関係もあるけれど、実家の近さとか、友達との関係性とかいろいろ考えた結果、その方が良いかなと思ってのことだった。
今のところ、とくに問題はない。
周囲に僕が住むことになった土地の話をすると、全員が信じられないという顔をする。それくらい僕が住んでいた土地からは離れている。
実際、職場への通勤時間は二倍近く伸びた。
けれど、その間で僕は本や映画を読んだり見たりすることができるし、電車の定期の区間であれば、好きなところへ行けるので楽しみが増えた感覚すらある。
今回、改めて「デッドエンドの思い出」の引用部分を読んで、彼女は「その場所で大きな輪を作ってい」るし、「そういう力」を持っている。
一緒に住もうか、という話をした時、僕は彼女の「そういう力」を奪いたくなかったんだな、と今になって分かった感じがした。
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江國香織の「いくつもの週末」に以下のような一文がある。
そうやって、私は週末を待つ。
週末は圧倒的だ。毎週毎週南の島へバカンスにいくような感じ。
分かる。「週末は圧倒的だ」おっしゃる通り。
今日は週末だった。
彼女は朝から仕事で、僕は一人パソコンに向かって進まない小説について考え続けていた。
夜、彼女が帰ってきて「買い物、行く?」と言った。
行くと答えて、彼女の車で近所のちょっと大きなスーパーへ行った。夕飯の買い物をして、帰ってきた。
なんてことない日常の一コマだけど、「週末は圧倒的」本当にその通りだと実感した。
小説は進まなかったけれど、なんとかエッセイは書けた。
今週はこれで良しとしよう。
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