わたしのどうでもよくない幼少期の記憶
今日、大学時代に書き残していた、自分の幼少期の記憶を思いつくだけ書いたメモを見つけた。その中の一つを、ここに書き写してみる。
おばさん家にままごと用のにんにくを模したものがあり、それがたまねぎかにんにくかで友達とろんそうし、おばさんに聞くと、にんにくとわかり、落ちこむ
すごくどうでもいい記憶だ。
この中の「おばさん」とは、血のつながったおばさんではなく、共働きだった親が、夕方まで私を預けていた家のおばさんのことである。
こんなニンニクvsタマネギ論争があったことなど、すっかり忘れていた。よく考えると、根まで生えたリアルなニンニクのおもちゃがあったような気がする。それを私は、ずっとタマネギだと信じ、ままごとに活用してきた。しかしそれが、ニンニクだと知った時の衝撃。
13年位前の私はまだ覚えていたのに、今の私は、忘れてしまっていた。
でも、記憶の根っこを引っぱり出したら、その時の感情までも思い出した。
こんな風に、表面上は忘れていても、根っこが残っている記憶というのは、実は幾千万もあるのかもしれない。
先月、この預かってもらっていた家のおじさんが亡くなった。
おばさんも優しかったけれど、おじさんも、とにかく優しさの塊のような人だった。2歳までしかいなかったので、おじさんとの記憶はあまりないのに、すごく私は泣いてしまった。でっかい何かが、急にズドーンと失われたような感覚がした。
きっと、おじさんやおばさんからしてもらったことや、かけてくれたことば、その一つ一つの記憶の根っこが自分の中に数え切れないほど残っていて、それがでっかい網みたいになって、知らない内に助けてくれていたんだ。そんな風に感じた。
あなたの中にも、そんな記憶の根っこが、残っているかもしれません。
ニンニクの根のように……