年齢はただの数字、なわけないじゃない
野沢直子さんの著書『老いてきたけど、まぁ〜いっか。』を読んだ。
タイトル通り、「この先、老いていくんだなぁ」と実感し始めた野沢さんが、どうやって老いを受け入れ、この先の人生を楽しんでいけばいいか、を模索するさまが書かれている。
野沢さんがこの本を書いたときは59歳。更年期に突入したばかりの私は彼女よりは少し年下になるが、同じようにこの先は老いていくのだということがこれまでより実感を伴う現実として感じられているので、彼女の本は私の心をがっちりつかんできた。
この本の何が良かったかを自分なりに分析すると、まず一つは野沢さんの前向きさ。
でも、その前向きさは「私、年を取るのが楽しみで仕方ないんです」みたいな、「ほんとかよ!?」と突っ込みたくなるような前向きさでない。
思うに、老いていく自分、というものを否定し、抵抗して、「年齢はただの数字です」みたいに言うのは、実のところちっとも前向きではない。
野沢さんは、それをしない。
前向きであろうとして、つい隠してしまう部分を隠すことなく、それでいて前向きなのが野沢さんの素敵さで、自分もそうありたいと思わせてくれた。
もう一つ、この本の良かったことは、野沢さんが文章で使う表現の的確さである。
私の好きなジェーン・スーさんにも通じるのだが、私の中に確実にある感覚で、でも、うまく言語化できていなかったものが、野沢さんの手にかかると、ちゃんとキレキレの言葉として出てくるのが読んでいて気持ちいい。
「そうそう、私が持っていたこの感覚はこれよ!よくぞ言ってくれた!」みたいな気持ち良さ。
それで気づいたんだけど、本を読んだり、人の話を聞いたりする面白さの一つは、そこなんだろうね。自分の中には確実にある思いだけど言語化できていないことを、誰かが言語化してくれるとスッとするっていうところ。
ちなみに、この本の中で、私が特に膝を打ったのが、犬についての記述。
この場合は「よくぞ言ってくれた!」というより、「まさに、そうそう、そうなのよ!」の方の気持ち良さなんだけど、この「どしたんすか?」っていう無邪気な後輩キャラこそが犬なんだよなぁ、うまく言ったものだと、感心してしまった。
実を言うと、先日から私がnoteの(ほぼ)毎日投稿を始めたのは、まさに、その「ピッタリとくる表現(言葉)」を探す力を鍛えたいなぁと思ったからだった。
それを探すためにはそもそも対象となるものをものすごい洞察力を持って見ないといけないし、見たものの表層だけではなくてその奥まで思考を深めるということも必要だろうと思って、そのマッスルを鍛えたいと思っているのだ。
いやいや、職業ライターを25年近くやってきて、今さら!?って思うかもしれないけれど、私は基本、インタビューなど取材がベースの原稿を書いてきたので、自分の中にある感覚や思考を言語化するマッスルは仕事を通しては鍛えてこなかったのだ。
なぜ今、それを鍛えたいのかと問われたら、これといった目的や理由はない。ただそれがもっとできるようになったら自分が気持ちいいだろうという期待のみが動機である。
「それがなんの役にたつの?」「それができたところで誰が読むの?」て自分の中の検閲官は今でもうるさいけど、「うるさーい!こちとらもう人生も折り返し地点なんじゃ!好きにさせろーい!」と言えるようになってきたことが、今のところ、年を重ねて更年期になって一番楽しい部分かもしれない。
年齢はただの数字って、何か新しいことを始める時にそれを使うのはいいけど、一方で、自分が年齢を重ねたからこそできるようになったことも忘れたくないし、大事に愛でてあげたいと思うのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?