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放置する力

モヤッとするときは、「何か気づいて変えた方がいいことがある」という意識の深いところからのサインです。

だから、やるのは自分と向き合うこと。

ただ、自分と向き合うって、ともすると「何に気づいていないんだ!?」とすぐに「答え」を探そうとすることになりがちです。

でも、「答え」を求めることって、見方によっては、自分が納得したいというだけでもあるんです。

大袈裟に言えば、答えはわからなくても変われることもあるんですね。

IHヒーリングはまさにそれで、セッションによっては、「ああああ!」と気づきの嵐が訪れてスッキリすることもあれば、「ん???」となんだかわからないままセッションが終わってしまったけれど、ずいぶん後になってそういえば変わっているなぁと実感するようなこともあります。

どっちも、その人にとってのベストなプロセスなわけですが、わたしたちはともすると「ああああ!」がほしくて、「ああああ!」がないとなんだか物足りなく感じることが多いように思うんです。

でも、それ、マインドのトラップでしかありません。

言い方を変えると、ユニバースの愛を信頼していないんです。

ユニバースはいつだって最善のタイミングで最高のことが起こるようになっているのに、それを信頼せずに、小さな自分の意識が目の前の納得を欲しがっちゃってるだけなんです。

だから、モヤッとしたときは、「気づけることに気づいて、変化します」という意図をユニバースに放って、あとは信頼して放置する、そんな胆力も必要だって思います。

そうすれば、必要であればIHを受けたいという気持ちが出てくるでしょうし、なければセッションじゃない何かから気づくのかもしれないし、もっと言えば自分では気づいていないけれども変化が起きたということもあるかもしれません。

いずれにしても放置している間にやることは、自分の感性に素直に動く、です。

そう考えていくと、放置する力は、きっと委ねることと同じです。

そんなふうに、よく言われることもいったん自分に落とし込んで自分にしっくりくる言葉に変えると実践しやすいと思っています。

さて、これを書いているわたしは、最近、久しぶりに、大きめの「ああああ!」があって、超スッキリしたところです。

ずっとモヤっていたけれど放置していたことに、突如、光が当たって、あまりにスッキリしたので、それを言語化したい気持ちから書き始めたのですが、できませんでした。

何となく、言語化したい(解説したい)という欲求をそろそろ手離すときなのかも、という気がしていますが、これも放置しておこう(笑)。

話は突然飛びますが、その「ああああ!」の気づきがあった後、わたしは夢の中である瞑想法を教わりました。

きっと、ユニバースが今のわたしに必要なことを教えてくれたんだって思っています。

こんなふうに、ユニバースはみんなに必ずコンタクトを取っているはずなのです。ただ、それを受け入れていないだけ。あるいは、受け取る回路が閉ざされてしまっているだけ。

回路を開くのには、IHヒーリングもいいけれど、恒久的な変化につなげるためには体もまたその変わった新しい状態で安定する必要があるから、ヨガもすごくいいんです。

もちろん、人それぞれカルマがありますから、人によってしっくりくる方法は違うとも思っていますが。

ただ、わたしのカルマはIHヒーリングとヨガと執筆(あとサーフィン笑)。

そのことにようやく両手を広げてYES!と言えそうです。

いや、今までも言えていたつもりなんですが、隠れたブロックがあったことできっと全力のYES!じゃなかったんでしょうね。

モヤッとして調子が出ない、そんな時期も、人生の最高最善のプロセスが進んでいるということでしかありません。

自分の人生を生きるという意図さえ忘れなければ、気づく必要があるときに気づける。それを信頼して、もっと軽やかに人生を楽しもうと改めて思ったのでした。

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