言葉が紡ぐ三つの世界:トリリンガル家庭の日常
瞑想家ヨギSatokoです。
先日こちらの記事を読んで、うふふ、そうそう。となっていました。
二か国語以上話す人は、言語によって人格が違う。ホントにそうだと日々感じています。
私の4人の子供たちは、家庭では日本語で話し、小学校はインドネシア語メインで、中学からは英語で勉強しているので、全員トリリンガル。言葉と同時に3つのタイプの人に変化します。
日本語で「ありがとう」と言うときは、自然と頭を下げる、謙虚なタイプ。
英語で「Thank you」のときは、スマイルで相手としっかり目を合わせる、自信ありそうなタイプ。
インドネシア語で「Terima kasih 」のときは、上目遣いで少しはにかんだような笑顔を見せる、親しみやすいタイプ。
3.はインドネシア人が良くやるしぐさです。バリ島に多くの人が魅了されるのは、この愛らしいしぐさの効果もあるのかもしれません。
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日曜の朝、バタバタ家事をしていました。洗濯機回して、お皿洗って、さあ、床を掃こうかとホウキを持ったら、中学生の次男がすっと私の横に現れて、「Do you need my help?」とホウキに手を出す。
いつも「ハラ減った~」も「今日のご飯なーに?」も日本語なのに、こんな時は英語なのね。なんだかさっきまでより背が伸びて、急に大人びたように感じます。
英語で言われると、こちらも英語対応に切り替わり、「大丈夫、大丈夫」と日本人的な遠慮なしに自然にお願い出来るから不思議です。
母国語とは違う言語を使うと、言葉にしみ込んだ「何か大事なもの」も一緒に流れ込んでくるようです。
私自身はトリリンガルどころか、バイリンガルにもなり切れていません。子供たちは思考も話している言語に自動的に切り替わるそうですが、何語で話そうが私の思考はいつも日本語。頭の中で常に翻訳しながら暮らしています。「何か大事なもの」を受け止め損ねたのかな。
外国語を習得しようとする動機は、国際的なキャリアを追求したい、文化交流を図りたいなどいろいろあると思うけど、「違う自分に出会ってみたい」なんてどうかしら。学ぶことがより興味深くなりそうな気がするけど。
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気まぐれな記事を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
また、次の更新で。
瞑想家ヨギ Satoko
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