私と夫の関係をいつか娘に説明するとしたら。


私は、心は自由でいさせてほしいとお願いして、
昨年春に夫に婚外恋愛の許可をもらった妻です。
(夫は、まさかホントにする気ではないだろう、
そんな簡単に誰かに出会うことはないだろう
と、タカをくくっているような気もしますが)


そんなことをお願いするくらいですから
私は、夫婦関係の再構築をするつもりは
もう全くありません。

そもそも、
「再構築」という言葉自体、
愛し合う気持ちを理性的に作り上げるって
矛盾してない?
気持ちを理性的にどうにかするなんて、
できるわけなくない?
と思っているくらいです。


ただ、そのことを掘り下げるのは
また今度、ということで…


さて、夫との関係性についての今と
私が将来の見通しをどのように思い描いているかは、
以前、この記事にまとめたところです。






そんなことを考えている私ですから、
ゆくゆくは、夫と別に暮らす場所
(多分、実姉と暮らす場所)を
作っていこうと目論んでいます。

今までは、この将来の目論見は
私と夫との真の関係を唯一知っている実姉とだけ、
色々と夢を膨らませあたためていたのですけれど。


最近、娘が成長し、
結婚とは?とか夫婦とは?
というテーマがからむ質問を
されるようになってきて、
今はまだ、
この計画を匂わせてもいないですが、 
いずれは、説明しなければ
ならない時が来るのだろうなと
思うようになりました。
(息子はこういう関係の話は
まーったく興味ないので、
いったん避けておきますw)

その時、どんなふうに
説明すればいいのだろう?
どんな説明をしたいんだろう?
今回は、そういう観点で、
私と夫の今とこれからを考え、
ざっとまとめていこうと思いました。


さて早速、
娘に伝えたいことを、
娘に直接話しかけるとしたら…という形で、
以下にどーっと並べて行きます。


・あなたに出会えたことは私にとって最高の出来事。

・あなたが娘でいてくれること、
母を求めてくれることは
私の心の根本にある喜びであり、心強さの元。
私が自ら立ち上がり動き出すエネルギーを
与えてくれる。

・間違いなく、あの頃
お母さんとお父さんは愛し合っていて、
自信がなくて
人生の意味もよくわからないお母さんにとって、
お父さんを愛することが、
この世の喜びだった。
お父さんは、あの頃のお母さんを
しっかり支えて、愛して、大切にしてくれた。 
そこまでの愛を感じなければ、
子どもなんて欲しいと思えなかった。

・その結果として、あなたたちに出会えた。
お父さんには本当に感謝している。

・そして長い年月が経った今、
お母さんはお父さんと、
子どもたちが育つ家庭を一緒に守る仲間として
しっかりと安定した関係を築いている。

・ただそれは、子どもを中心とした、
父親と母親としての人間関係。

・長年共に暮らし、様々なことを経験し、
互いについて、考え方や生活習慣や
いろいろなことを体感しながら、
色々なことを乗り越えてきた。
そういう「色々なこと」を経て、
お父さんもお母さんも、
考え方や感じ方が変化していった。 

そんな中でお母さんは、
お父さんと男女として愛し合うこと、
つまり、互いが互いを愛しいと思って求め合い、
愛を与え合って幸せを感じあうことについて、
いつの間にか大切に思えなくなってしまった。

・この10数年、仕事だったり、
家や家庭をスムーズに回すことだったり、
色々なことにいっぱいいっぱいで、
お互いに、2人自身の気持ちについて
向き合う余裕がなかった。
だから、気持ちのすれ違いは、
どちらが悪いというものでもなく、
仕方ないものだったと思っている。

・そうやって過ごすうちに、
気がつけば、お父さんはあくまで仲間であって、
愛しいと思う相手ではなくなっていた。

・お母さんにとっては、
あの頃お父さんに感じていたような
異性を愛しいと感じる気持ちは、
安心した毎日を暮らすことと同じくらい、
本当はとってもとっても大切な気持ち。
そういう気持ちを感じられる時は、
生活にハリが出て、気持ちが元気になれる。
それがない人生は、
何かを諦めた人生のようで、
なにか虚しさを感じる。

・でも、そういう気持ちは、
生み出そうと思って生み出せるものではなくて。
実際、お父さんに対してもう一度
そういう気持ちを抱くことができないか、
何年もかけて色々試行錯誤してみたけれど、
互いの努力では、もう無理だとわかった。
それはお父さんの側に
何か落ち度があるわけではなくて、
長年お互いに気持ちのすり合わせを
しなかったがために生まれてしまった、
解消のできない、やむを得ない心のズレ。
お父さんのいいところを、
どれだけたくさん
胸の中に思い描いても、
もう愛しさは生まれてこないと
気づいてしまった。

・だから、お父さんとお母さんは、
2人の間でその感情を生み出すことに
執着するのはやめた。
そして、その感情を抱けないことについて、
相手を非難したり、
いがみあったりもしないことにした。
その感情を抱けなかったとしても、
2人は大切な同じ子どもたちを育てる仲間
ということに変わりはないから、
その部分で快く協力し合って過ごしたい。
そう思ったから。

・でも、実際夫婦間で
愛しさを感じられなくなった今、
いつどこで、他の誰かに
そういう気持ちを感じるようになるかは
わからない。
それは本当に神様がイタズラにかける
魔法のようなものであり、
他の誰かに迷惑をかけないのなら、
とてもとてもステキで、
喜んで受け入れていいはずの気持ち。

・ただ、今のお父さんとお母さんは
夫婦という状態だから、
どちらかがもし、
他の誰かとその魔法にかかった時、
お父さんとお母さんの間では、
それを認め合うと心の整理をしていても、
世間一般から見ると、
「不貞行為」と言って、結婚している人は
してはいけないことを
していると見られてしまう。

・結婚というのは、
互いの生活を助け合う義務や権利が
互いに受けやすくなるよう、
法律が助けてくれるもの。
義務を果たしてもらえないことで
辛い気持ちを感じたり、
不当に負担を被る状況に晒された時に、
「裁判」という手段で、
離婚を求めたり、
相手から慰謝料をもらったりという、
解決のための闘いを
やりやすくしてもらえる約束。

・本来これは、2人の間で感情が拗れるなどして、
話し合いがうまくできず、
争いになってしまった時に助けてもらえるもので、
この民法という法律を守らない状況があったとして、
当事者の間で、感情を拗らせずに
皆が納得できる状況に持っていけるなら
警察が乗り込んできて
逮捕されたりするような罪というわけではないもの。

・でも、今の日本では世間一般の話として、
この法律を守るのが当たり前、
守らないのは罪であり、
背景や当事者の感情と関係なく、断罪され、
社会的に制裁加えられて然るべきというようなレッテルが貼られてしまう傾向にある。

・本当は、心が自由でいられるのなら、
お母さんは、お父さんと
ずっと法律で守られる家族でいたい。
その方が、よくある家族の形を
そのまま維持できて、
子どもたちを混乱させることもなければ、
経済的に協力しやすいし、
緊急の時も互いを助けやすいから。

・でも、夫婦でいることで、
心の自由が制限され、
幸せを求める気持ちを、
いけないもの、悪いものと世間から非難され、
仕事にも支障が出るからと、
心を隠して我慢して暮らしていくのは、
なにかおかしいと思っている。

・それならば、夫婦という形は解消して、
自分たちの自由意志で子どもの親同士
という関係で支えあう。
それぞれで自主的に子どもと関わり
家族として守っていく。
心は自由で、でも自主的に、
互いに家族として仲間でい続け、支え続ける。
その方が、堂々とずっと無理なく、
わだかまりなく、心から家族として支え続けていける。そう思っている。

・そして、念押しするけれど、
お父さんとお母さんの間の
男女としての関係の問題は、
子どもたちとは全く関係ない。
子どもたちのせいで
お父さんとお母さんが男女として
うまくいかなくなったわけではない。

・逆に、お父さんとお母さんが
夫婦をやめたとしても、
子どもたちとの親子関係には全く関係ない。
これからも、今と変わらず
一緒に協力して子どもたちを応援し、
巣立つまでちゃんとお世話し続けるし、
一生あなたたちが大丈夫か、
助けが必要な状況に陥っていないか気にかける。
あなたたちが求めるなら、
これからもずっと、共に楽しい時間を
過ごして行きたいと思ってる。

・あなたには、お父さんとお母さんが
家庭の中で愛し合っている様子を
見せられないのが、本当は心苦しい。
愛し合うとはこういうこと、
愛しいと感じるのはこういうこと、
というものを、本当は家庭の中でも
見せてあげたかったし、
そういう空気感を感じさせてあげたかった。

・ただ、たとえ愛しさを感じなくなったとしても、
平和な家庭で仲間として、
互いに尊重しながら過ごしていけるということは、
見せてあげられていると思う。

・そして、お母さんはあなたたちが
愛しいと思える人と出会えたらいいなと
願っている。
それは本当に本当に幸せを感じられることだから。
そして、そういう人に出会った時、
日頃からちゃんと向き合って
腹を割って2人の求めるもの、
あるべき姿をすり合わせていないと、
愛は維持できないものなんだということも、
ちゃんと伝えるべきだと思ってる。

・そして、一度結婚したからといって、
それに一生縛られなければならないものでもない。
結婚という枠にはまったなら、
盲目的に一生その中にいなければならないと、
心を閉じて我慢を重ねる生活を
しなければならないものではない。
互いを尊重し合い、
その時その時で2人がどういう関係でいることが
最善なのか、互いに執着することなく、
対等に話し合って決めていくこと。
それができるものなんだということを、
ちゃんと見せてあげたい。

・男女の愛は、親子の愛とは全く違う。
親の愛は、子ども守ること、気にかけることが当たり前。子どもの中に遺伝子で繋がった自分を感じるから。
そういう意味で、自分を愛する気持ちに似ている。
そのくらい当たり前のもの。そして、いつか
自分の足で立ち、巣立っていくことを願うもの。


・男女の愛は、他人同士なのだから
本来はなくて当たり前なはずなのに、
互いの中に何かの「特別」を感じ、
求め、求められる。
この、他の人には感じない「特別」を感じ合える、
「求める」という気持ちが自分の中に生まれること。
そして、相手が「求める」気持ちを自分に対して
抱いてくれること。
そして、そういう心を
会話やスキンシップで感じあうこと。
これは、何にも変え難い、
とても幸せな感情なの。

・ただこれは、
なくても生きていけないわけではない。
どんな愛も、なくては
生きていけないものはないと思ってる。
だからもちろん、男女の愛以外の愛も
世の中にはたくさんあるし、
世の中には他に楽しみもたくさんある。
だから、男女の愛などいらないという人も
たくさんいる。
そういう人たちを否定するものではないの。

・お母さんも、
男女の愛がなければ生きていけない、
というほど執着しているわけではないけれど、
一生うっすらと求め続けていいものだと思ってるし、
求めたいと思う気持ちは、いくつになっても、
恥ずかしがったり、
嫌悪したりするものではないと思ってる。

・これが、お母さんにとっての
夫婦とは何かということと、
異性間の愛と、
思い描く未来の考え方。
だから、お父さんとはいつか
離婚になるかもしれない。
けれど、それはお父さんとお母さんが
憎しみあった結果ではなく、
それぞれ自立した人間として
互いの思いを尊重した結果なのだと
捉えてもらえればと思う。



ここにまとめた考えは
今時点では、ほぼ私の一方的な
イメージでしかありません。

でも、いつか
夫婦の関係性をもう一歩
踏み込んで整理しなければ
ならない時が来るのなら、
あらかじめ、
私の思いを夫に伝え、
それを受けて夫自身、
これからどういうスタンスで
生きていこうと思うのか、
考えてもらわなければならないな
と思います。

そういう意味で、
このテーマもどこかの
夫婦会議で投げかける必要が
ありそうだな、
今回、この記事をまとめてみて、
そんな風に思いました。


また、長文すぎる長文に
なってしまいました。

お付き合いいただき、
ありがとうございました☺️

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