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「先生」という言葉について

今朝はまたとびきり早起きで、4時に起きて薄暗い部屋の中でゆっくりとお茶を飲みながら、とあるスタンドFMの番組を聴きました。

一般財団法人ShantiHouseの番組です。


シャンティハウスの幸恵さんとの出会いは確か2001年か2002年か2003年ころ←記憶がはっきりしない。。。中国の広州にて、でした。約20年前ですね。

今回のお話を聴きながら、色んなことを思い出しましたが、その中で幸恵さんが触れていた「先生」という言葉について今日は書いてみたいと思います。

私が小学生の頃、確か母から「アメリカでは教室で先生のことを先生と呼ばないんだって。Ms.〇〇とか、Mr.〇〇と呼ぶんだって」と聞きました。その時は「へー。国が違えばそういう習慣も違うんだ」くらいにしか思っていなかった気がしますが、月日は経って、大人になってから自分が望まないのに「先生」と呼ばれることが度々あって戸惑いました。

例えば通訳の現場にて。(今はもう殆どやっていませんが)通訳人の名前を相手に伏せるため、敢えて通訳人を「先生」と呼ぶ風習?がある場合があり、戸惑いました。違和感、というか。いや、違いますけど、と毎度思っていました。

また、某福祉の現場で未だに職員を「先生」と呼ぶ習慣が残っているところがあり、これにも非常に違和感を感じます。(某会津若松にある短大で社会福祉を学んでいた頃、先生から、実習先の子どもたちから「先生」と呼ばれるかもしれないけれどあなたたちはまだ先生でも何でもないので勘違いしないように、と言われましたが、その先生には今でも感謝です)

Teacherというのは学び続ける人のことを言う、と某Cardの解説に書いてありました。そういう意味でも自分はまだまだ「先生」と呼ばれるに値する人間ではないな、と常に思います。

だから?というか私は自分のことを「先生」と言う人や、子どもにそう呼ばせようとする人のことをどうも信用できない癖のようなものがあります。同じく、自分のことを「社長」と呼ばせようとする人もイマイチ信用できない気がしてしまいます。

そういうのって自分から名乗ったり人に強いたりするものじゃなくて、他人が決めることなんじゃないかな、と思ったりするのです。

こんな私、いちいち面倒くさいでしょうか?ええ、面倒くさい性格かもしれませんね(笑)そんなこんなで「先生」という言葉にやけに敏感な私です。

今回のスタエフの中のお話で、食べ物に関するお話がとても興味深いものがありました。もっともっと聴きたいなあと思う内容でした。

あと、広州にいた頃、日本人婦人会にたまに(仕事のために)参加していたので、少しだけ雰囲気は分かります。ドラマ「白い巨塔」の紅会~くれないかい~ばりの雰囲気ありました(笑)タイはもっと激しそうですね!

因みに紅会で好きなシーンは、鵜飼会長の誕生会シーンです。奥様方のビブラートの効いたハッピーバースデー♪が最高です。



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