見出し画像

英国、現実主義への転換:国際援助削減が引き起こした政治の波紋


Harold Macmillan 首相による ‘Winds of Change’ 演説

65年前に英国の首相だったハロルド・マクラミランが、新しい世界秩序が到来しつつあることを認め、英国が担ってきた負担を下ろすべき時が来たと語った「Wind of Change」演説(南アフリカのケープタウンで1960年2月3日に行われた)は、脱植民地化の流れを公式に認め、英国が植民地の独立を受け入れる姿勢を示したものとして広く知られています。マクミランは、アフリカに広がる民族独立の動きを「風の変化」になぞらえて“The wind of change is blowing through this continent. Whether we like it or not, this growth of national consciousness is a political fact.”(変化の風がこの大陸を吹き抜けています。我々が好むと好まざるとにかかわらず、この民族意識の高まりは政治的な現実なのです。)と表現しました。

そして今日、現在の英国首相もまた、変化の波に適応しようとしています。スターマー首相は、「ストーム・ドナルド(Storm Donald)」と称される国際的な混乱によって加速されたこの変化の中で、舵を取らなければなりません。彼は、英国が国際的な責任を引き受けると明言し、新たな現実主義の時代を切り開こうとしています。そして、彼の政策を支えているのは、長らく英国の政界において権力を握ってきた旧来のエリートたちではなく、より機敏な実務家たち。彼らは、過去の左派リベラルが抱えていたような、理念的な手詰まりには陥らないようにも見えます。  

防衛費の増額を決定

英国政府が防衛費の増額を決定したことは、国家の安全保障に対する重大な方針転換を意味します。軍備の拡張と国防力の強化を掲げたこの決定は、労働党にとって驚くべきものです。なぜなら、わずか5年前まで労働党は、軍事費の削減を掲げる「非介入主義」的な立場を取っていたからです。コービン党首(当時)のもとで、労働党は防衛支出を減らし、国際開発援助を重視していたのですが、スターマー首相は、この政策を180度転換し、イギリスをNATOの主要な支柱として位置づける政策を採用しました。

この方針転換には、賛否両論があります。軍の近代化・強化のためにどれだけの資金を投入すべきか?潜水艦部隊や戦車の増強にはどの程度の投資が必要なのか?これらの疑問は依然として残ります。しかし、政府が国防費の増額を決定したことは、英国が国際舞台での役割を自覚し、それに見合った行動を取ろうとしていることを示しているように思います。

さらに、スターマー政権は、軍事力の強化だけでなく、外交政策の現実主義的な転換も図っています。例えば、英国はイスラエルに対する武器輸出を維持し、左派勢力が求める制裁を回避しました。また、英国領チャゴス諸島の返還問題では、モーリシャスとの交渉を進めつつも、中国やその他の敵対的な勢力に対しては強硬姿勢を貫いています。

変化する国際秩序と英国の立ち位置

英国がこのような決断を下した背景には、世界情勢の劇的な変化があります。例えば、ドイツの新しい首相候補であるフリードリッヒ・メルツは、ヨーロッパが防衛面でアメリカから「独立」する準備をすべきだと発言しています。これは、これまでドイツが取ってきた対米協調路線からの大きな転換であり、EU全体に影響を与える可能性があります。

また、フランスは、英国とともにロシアやイランに対する制裁強化を主張しましたが、EU内ではこれに賛同しない国もあります。このように、欧州諸国の安全保障政策には温度差が生じており、英国は独自の戦略を持たなければならない状況にあるわけです。

ウクライナ戦争をめぐる西側諸国の対応もまた、英国の立場を決定づける要因となっています。ウクライナが求める軍事支援に対し、西側諸国の対応が一枚岩でないことが明らかになった今、英国は同盟国との協力関係をどのように維持するか、慎重に判断する必要があるでしょう。

海外援助の予算削減

労働党政権にとって、海外援助の予算削減と、その結果生じるイギリス国内での騒動を受け入れることは決して簡単なことではありませんでした。たとえば、ロンドンの裕福な地区(ハムステッドやケンジントン)の住民たちは、この決定に反発しています。けれど、スターマー政権は、英国の財政状況を考慮し、国際援助予算をGNI(国民総所得)比0.5%から0.3%に削減することを決め、その節約分で防衛費を増額する決定を下しました。これは大きな政策転換であり、労働党にとっては大きな決断だったと思います。  

今、英国政府は以前のように国際社会や国連の圧力を気にすることなく、「何が英国にとって最良の選択か」を基準に判断するという方針にシフトしようとしています。国連はこれまでの数十年間、英国に対し「援助国家」としての道を進むよう圧力をかけ続けてきました。しかし国際舞台での英国の立場は、援助を続けたにもかかわらず、さほど向上しなかったのではないか?とも考えたのでしょう。

Anneliese Dodds氏


伝統的に、保守党が軍事支出を重視し、労働党が社会福祉や国際援助を重視する傾向がありましたが、スターマー政権は財政状況を考慮し、非効率な海外援助を削減するという「実務的な判断」を下したのです。

それに対し、2月28日、英国の国際開発大臣であるアナリーゼ・ドッズ氏が、キア・スターマー首相による国際援助予算の削減決定に抗議して辞任しました。 ​​ドッズ氏は、この削減により世界の最貧層への支援を損なうことになり、英国の国際的な評判を傷つけると批判しました。 ​彼女の辞任は、労働党内の不満を浮き彫りにしているようにも見えます。労働党内の不満により元の左派リベラル路線(国際協調、道徳的優位、援助重視)に戻る可能性もありますが、少なくとも現時点では、労働党は国益を重視する改革された政党に生まれ変わりつつあります。
大企業との関係もこれまでの労働党のスタイルとは異なり、スターマー政権の労働党は、英国の経済を立て直すために、これまでの労働党と異なり経済成長のために共存する姿勢へとシフトしています。環境政策に関しても経済成長とのバランスを考え、「グリーン成長」や「雇用創出」を重視しながら、環境保護を推進する方向に向かっています。

これらの変化が一時的なものなのか、それとも本格的な路線変更なのかは、今後の政権運営次第です。しかし、少なくとも現在のスターマー政権は、「かっての左派リベラル的な労働党」とは一線を画す方向へ向かっているといえましょう。

スターマー首相の決断に対する評価

スターマー首相の政治思想は、もともと「戦後の国際協調主義」に基づいていました。しかし、彼はイデオロギーに固執するのではなく、国際環境の変化を受け入れ、現実主義的な政策へとシフトしています。特に、今回の防衛政策の転換は、これまでの労働党の路線とは大きく異なる決断でもあり注目を集めています。彼が直面する課題は多く、今後の決断によっては批判も免れないでしょう。しかし、少なくとも現時点では、英国首相は、厳しい現実を直視し、それに対応しようとしている点で評価されているように思われます。

スターマー首相の決断は、単なる一時的な方針変更ではなく、長期的な英国の戦略転換を示唆しています。今後、英国がNATOや他の同盟国とどのような協力関係を築いていくのか、また、国内での支持をどのように維持するのかに注目しています。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集