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『山の上の家事学校』
近藤史恵の小説『山の上の家事学校』
離婚して1年、すさんだ生活をしていた主人公(43歳・男性)が、家事学校に通うことで色々な気づきを得て変化していくお話。
家事学校の校長先生の
「くれぐれも、ここで得た知識を、誰か…家族でも、知らない誰かでも、別の人ができていないことや、完璧でないことを責めるために使わないでください。自分自身ができなかったときにも、できないことを責めないでください。もし、そういうことに使うなら、知識や技術は、生活を豊かにすることではなく、貧しくする方に働いてしまいます」
という言葉が、家事に限らずどんな分野にも言えることで、心に留めておきたいと思った。
家事を習う中で、主人公が
「これまで、『どうしようもなくなって仕方ないからやる』か『やらない』か、そのふたつしかなかった作業に、『楽しんでやる』というもうひとつの選択肢が生まれた気がした。」
というシーンがあって、私も家事に「楽しんでやる」という選択肢がほしいと思った。
正直、そんな気持ち全然ない気がする。
お弁当作りを教わるシーンでは、
「誰かのための技術を、自分のために使うこともできるし、きっとその逆もある。ぼくは少しずつ、自分で自分の面倒をみるやり方を覚えつつある。」
という言葉があった。
家事ってまさに、誰かのためでもあり自分のためでもあって、自分で自分の面倒をみていくことなんだから、誰もがそれを認識して、身につけていかないといけないことなんだろう。
でも、きちんと習う機会ってあんまりない。
そんな大切な日常のことを、楽しんでできたらすごくいいと思う。
昔、公民館の講座を一緒にやっていた先生が、
「女は子どもを産んで一人前とか言われるけど、男も女も、自分の身の回りのことを自分でできるようになって一人前なんだ」
と言っていたのを思い出した。
家事に対する考え方ややり方を通して、家族の関係性についても考えることのできる作品。