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ひとりぼっちの私は、「つながりって、どうせ傷つくだけでしょ?」って思っていました。ライフワークの花が、覆してくれようとしています。

こんにちは。
ブーケアーティストの咲凜(えみり)さとです。

湧き起こるままに、綴ります。





誰も信じてはならぬ。誰も頼ってはならぬ。


私、「ひとりぼっち」が当たり前の世界に生き続けてきました。今も、その癖が抜けませんです。

ひとりでも幸せ、一緒にいても幸せ

人は、ひとりで立ってこそ、他者とも健全な関係性が築けるって言うけれど。


生まれた当初の赤ん坊は、大人の面倒が無いと生きていけない「依存」の状態です。「依存」時代の過去に、たっぷりと傷ついちゃう訳です。大人になった今は、わかります。親も親なりに一生懸命だったということ。些細な誤解が積もり積もって、子供側の「傷つけられた」っていう思い込みにつながっていることも。子供の目線だと、「傷つけられた」ってなっちゃうのも仕方ないんですよね。


「依存時代の傷」を抱えて、体と年齢は立派な大人に育って参ります。思春期の人間関係とか、大人になるにつれての恋愛や職場の人間関係でも、たくさんの傷を抱えていくのですよね… いろーんな傷が溜まりに溜まっていくと、「極端」に走っちゃうのですよね。

ひとりで、何でもかんでもやってやる!
誰も頼ってはならぬ。誰も信じてはならぬ。

人って、目の前の人を、過去のいろんな人たちと重ね合わせて見ちゃうものなのですよね。無意識にね。

そして、自分を守ろうとして「距離」を取っちゃうのです。だって、怖いですもの。再び、傷つくのは嫌ですもの。過去のあんなことやこんなことの経験で溜まり溜まった傷。もう、再現したくないんですもの。


私、「ひとりぼっち」でした。


私、引っ込み思案でした。保育園の頃は、ポツンと砂場でひとりで座っていた記憶があります。転入先の保育園で、いじめに遭った記憶もあります。

その一方で、年下の知らないクラスの子達から郵便屋さんごっこでお手紙をもらったりしていました。人生初の「モテ期」到来でした笑。

「カゴメカゴメ」とか「マイムマイム」とかお遊戯やフォークダンスをするときに、お友達数名が私の両隣を争って喧嘩し始めたこともありました。


私は、私をめぐって喧嘩している子たちの手を一斉に繋いで、踊りの輪の中に加わりました。右手に二、三人のお友達がつながっていました笑。

その頃の私は、おうちで暴力に晒されいました。私は、それを誰にも話さず、小さな心で抱え続けていたみたいです。話すなんて選択肢、私の中には存在しませんでした。

目の上にアザを作って保育園に行ったとき。何も言わずに先生が、私を抱きしめてくれました。泣きそうになるのをグッと堪えて、先生の手を振り解いて走り去った記憶があります。


小学校を卒業して、私は中高一貫の女子校に通いました。

ポツンと教室で「ひとりぼっち」の中一でした。担任の先生の一言が今も忘れられません。

「今日の日直、誰やねん!声小さすぎるわ。おるんかおらんのか、わからんわ!」

その日の日直は、私でした。

中学校の弁論大会に、なぜか私が発表することになりました。タイトルは、「ひとりぼっち」。担任の先生が、原稿を作りました。凄く腑に落ちない点がいっぱいあったけれど、私は言われるがままに、中学校全生徒の前で発表しました。

凄く惨めでした。何で、私こんなことを全体の前で話さなきゃならないの?事実じゃないことも含まれているのに…

弁論大会の後は、トイレにいくたびに、知らない学年の女子たちからこんなふうに声をかけられていました。

「あー!ひとりぼっちの人や」

凄く恥ずかしかったのを覚えています。


ひとりで何もかもを抱え続けてきたら、「感じること」ができなくなっていました。


大学時代は、人生2度目のモテ期到来でした。

なんか、引きがすごかった笑。同級生達や後輩達からも、声掛け続けてもらってました。普通に校舎を歩いているだけなのに、「さとさーん」って声かけてもらえたり走り寄ってきてくれたり。バス停でバス待ってるだけなのに、同じように駆け寄ってきてもらったり。駅で待ち伏せされたりとかもあったなぁ。謎のモテ期現象が起き続けていました。


大学卒業して、社会人になって。いよいよ、私は、自虐恋愛沼にハマっていきます。自分を責め続けて、いわゆる「罪悪感」「無価値観」の塊の女になっていきました。

「周りは、皆、敵!」状態でした。対男性に対する怒りや敵対心も半端なくて笑。激しい口喧嘩も普通にしていました。取引先オッサンズ・社内男性上司たちと。

30代に入って、自立は、超超超自立を極めて参ります。痛みの経験を繰り返し続けて、我慢し続けていくと、私は「感じること」を忘れてしまっていました。

楽しいってなに?
生きる意味ってなに?
好きなことってなに?
何一つないよ、私には。

デッドゾーンに突入・二万人にひとり発症する病気になっても…

私は、「助けて」が言えませんでした。


30後半、膵臓に病気が見つかって。42歳の時に手術をします。

私、入院・退院・再入院・再退院・闘病もひとりでした。ふらふらになりながら、重たい荷物を抱えてキャリーケースを引いて。ひとりタクシーに乗って、ひとりでこなし続けていました。

こんな状態になっても、私は周りに「助けて」が言えませんでした笑。親や同僚達のサポートを却下し続けたのは、この私です笑。

退院後も、お腹が暴れて息できないくらいの痛みが襲ってくることが結構な頻度で起きていました。その度に、私はひとり救急車を呼んで、病院に運んでもらいました。

あら、ひとり?

救急隊員さんたち、病院スタッフさんたちから毎回のように聞かれていました。毎回運び込まれると、救急隊員さんも顔見知りの女性がついてくれるようにすらなっていました。

距離のある人とは、安心を感じられる人間になっていました。私。近づくと、痛みを思い出して怖くなって逃げ出してしまうのは、今でも残っています。(恥さらし)


「つながりって、どうせ傷付くだけでしょ?だったら、そんなものいらない」

「つながり」っていう発想すら、私の中には存在しませんでした。


私にとって、人とのつながりは、恐怖を呼び起こすものになっていたのかもしれません。

私、汚れているから。
私なんて、誰からも愛されていないから。
私なんて、誰からも助けてもらえないから。
私なんて、迷惑かける存在でしかないから。
みんな、離れていく。

人がキラキラと輝いて見えていました。私なんて見窄らしくて、ダメって思い続けていました。小汚い私が、人と手を繋ぐなんてありえないって思い続けていました。

人と関わることをとことん避け続けていた時期もあります。


ブーケを通して


小さな頃に与えられなかったものは、それを与える才能がある。

私、どうやら「つながりの場」「痛みを癒す場」を提供することに目覚め始めたようなんです。病気がきっかけで偶然出会ってしまったブーケとともに。

ブーケが、ライフワークとやらになっているって気づいてしまったのは、2022年のことでした。

ブーケを通して、私は、今まであり得なかった死んでもやりたくないと思い続けていたことに、チャレンジせざるを得なくなっています。自分で自分の首しめちゃってます笑。


一つ目は、これ。

「助けてください。」
「手伝ってください。」

それを言わざるを得なくなっています。その瞬間は、毎回、とんでもなくエゴの声が沸き起こります。

誰も助けてなんかくれないし、誰からも相手にされないし、こんな不義理な女

二つ目は、親の目から独立すること。

親や親戚も私のSNS見てますし、おそらく、このブログも読んじゃってることでしょう。だけどね、私は、ブーケを通して親離れを着実に進めて行っているようです。


三つ目、過去の痛みなんてどうでもええ、って心境にすらなる。

どうでもええ

こう思えたら、問題から解き放たれている証だそうです。私、ほんと、この心境になっているんです。ライフワークを生き続けていくとね。


痛みを直視するのも一つだけれど

わたし。凄くたくさんの痛みの経験をし続けてきています。かなり壮絶な経験をたくさんしてきました。

病気発覚する直前に、幼少期のことを毎週ガン見するカウンセリングを続けていました。私、やりすぎちゃうのですよね。心理カウンセリングの場だけにしておけばいいのに、四六時中向き合い続けてしまって。その直後に、病気発覚して。過去掘り起こしは中断させました。

結果として、大手術がきっかけで、幼少期のわだかまりを抜け出ることができています。

私が、花・ブーケを通して、痛みや抑圧した感情を解放して癒していくプログラムを模索し続けているのも、こういった理由からなんです。

花を通して、自分自身を見つめるから。過去の色々な痛みを直視しなくて済むのですよね。花の持つ愛と自分自身の愛がダイレクトに繋がるから、凄く心が楽なんです

しかも、生きた花のエネルギーに触れて束ねるって、最高に楽しいのです。そして、「今」を目一杯味わえる。トラウマに直接触れずとも、ライフワーク・花で癒していけるということを私は自分自身で実験中です。

9.11が発生した直後。その時の痛みに触れ続けたグループと、直接触れずに人とのつながりの中でたわいのない話をし続けたグループ。どちらが回復スピードが早かったか、ご想像つきます?「後者だよ」と、私の心理カウンセラーさんに教えていただきました。


つながりって、目の前の人だけではないんです。


つながりって、目の前の人だけではないんです。

あなたの周りの人たち
過去のあなた
今のあなた
過去の経験
過去の人たち
未来のあなた
ビジョン・夢
感情
有名人たち
もの
お空の上の方達
神社仏閣
自然
動物・植物
芸術作品
(他にもたくさんあるはず、コメントに教えてやってくださいませ♡)

私は、お掃除をするときに、ありがとうって呟きながらものに触れています。そうするだけで「つながり」がうまれます。凄く安心感もうまれるので、お勧めします。


私も、怖さとともに一歩づつ歩み続けています。私のグラン・ブーケを

怖いけれど、一歩づつ、少しづつ、私も痛みを癒し続けています。これからも続きます。

トラウマからの回復は、一生涯をかけて自分自身の人生を「主体的」に生きていくことだだという捉え方があります。私は、この捉え方凄く好きです。


そして、来週お申込開始する「9月28日開催・第三回ブーケ・グループセッション in ザ・ペニンシュラ東京」。

私は、絶賛周りに助けを求める作業に入りました。とんでもなく勇気が入りました。でも、ちゃんと応援して支えてくれるメンバーが集まってくれています。心からありがとう!!!

一生涯をかけて、闇の世界から光の世界に50代に入って目覚めた画家をテーマに取り上げます。

いつからでも遅くはない、早ければいいってもんでもない。何一つ無駄なことはない。全てはベストなタイミングで。孤独・つながり・ライフワーク・生命力・躍動感

この辺りのキーワードを、目一杯体感いただけるセッション目指して、エンジン全開にし始めました笑。これから、私のありとあらゆるSNSタイムラインは、青祭りになります。

第三回は、今までと異なる全く新しい試みも取り入れます!!来ないなんて人生大損しちゃうよ、って心の中で思っています笑。


それでは、私は、お仕事に戻ります笑。今日もお読みいただきありがとうございます。夜も、何か綴ります笑。

咲凜(えみり)さと


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ブーケとの出会い・闘病生活から夢実現を講演しました。

いつか、幼少期からの一連の流れのことも講演したいな、って思っています。