住みたい世界
摂食障害経験者であることを隠しているつもりはないが、がっつり書いたことはあまりないかと思う。何となく今な気がするので書いておく。自分の為の文章だから、読まれなくていいと思ってる。
摂食障害と一言で言っても色んなタイプがあるのだが、私が引っかかったのは非嘔吐過食である。むちゃ食い症候群などとも言われているらしい。言い方だけは可愛いんよな。
発症したのは12年前だろうか。当時私は料理カメラマンのアシスタントをしていた。毎日毎日、プロが作る料理を撮影し、撮影した後はその料理を食べる。楽しそうに見えるかもしれないが、実際はなかなかの苦行だった。もちろん美味しいものも沢山あったけれど、「若いんだから」と、とにかく大量に食べることを要求されたし、連日同じものを食べることもあったし、「食べたい訳でもないものを毎日胃に詰め込まれる」という毎日だった。(個人の感想です、幸せに思う方もいらっしゃいます)
そんな毎日を過ごせば自然と太っていくのであるが、周囲はそんな私を見て「丸くなったんじゃない?」と笑った。当の食べろ食べろと言ってきたスタッフ達がである。仕事が終われば当時の恋人が「ちょっとは動いた方がいい」などと言ってくる。毎日重い機材を持って、動けなくなるくらい仕事をしている私に。そうして私の体に文句を言う割に、体に触れてくる。
今思えば、あの頃の私は周囲にただひたすら使われていただけだった。余った料理を処理する人間として使われ、太っていくのを馬鹿にする為に使われ、それなのに性欲の処理にも使われていた。心が軋んで当然だったと思う。軋んだ頭で、何ヶ月も食べたいものを食べてないな、と思った。たまには自分の食べたいものが食べたい。何も考えずに、自分が自分の為に選んだものを。過食のきっかけはそんなものだったと思う。そこから私は自由に使える金のほとんどを、食べ物に費やすようになった。
過食に明け暮れる日々は、転職と恋人との別れとラーメンズのコント丸暗記(何か他のことに集中するのがいいって聞いたんで)によりどうにか一度は途切れたが、その後何度か再発した。こう何度も再発されてしまうと、過食自体は治まったとしても「また再発するのでは」と怯えるようになる。何を食べても「このまま止まらなかったらどうしよう」と思うし、食べなかったとしても「次食べたものが止まらなくなるかもしれない」と思ってしまう。食べる量が正常の範囲内だったとしても、食に対する恐怖が常にあり、私は自分の正常な食欲が全く分からなくなった。その状態が今年の春まで12年続いた。
干支一周分の時間を病んでいれば、色んなことを考えるもので、私は特に「普通の体」というものについて考えることが多かった。毎日「普通の体になりてえなぁ」と思っていたが、同時に「普通の体てなんだ」とも思っていた。
「自分の意志に関係なく」食べてしまう病気になって、「自分の意志に関係なく」太った。これは確かに異常に見えてしまうのだけど、周りを見渡せば、こんなことは数あるようにも思えた。「自分の意志に関係なく」病気で痩せてしまう人もいるだろうし、事故で顔に傷を負ったり、怪我で体の一部が動かなくなる人も「自分の意志に関係なく」そうなっている。
昔当たり前のように保っていた「普通の体」は、たまたま「普通でいれただけ」だったのではないだろうか。私は結局、何が異常なんだろう。私の何が普通じゃないんだろう。
誰も教えてくれないし、誰も答えてくれない。それなのに、私が摂食障害だと知ると、誰もが困った顔をしたり、カウンセリングめいた話をしてきたり、「体に良くない」だのと正論をかましてきたりした。たまたま普通でいれてるだけの人が。いつか私と同じになるかもしれないのに。明日病気になるかもしれないし、次の瞬間にも事故に遭って、「自分の意志に関係なく」体が変わってしまうかもしれないのに。
そう思ってしまうから、私はますます人に摂食障害のことを言わなくなった。そもそも言う機会もないのだが。でも、ずっと考えていた。私は自分が摂食障害だと話した時、相手にどう答えてほしかったんだろう。今後自分がまた「自分の意志に関係なく」体が変わってしまった時、私は世界にどうあってほしいんだろう。
私は何の反応もされたくなかった。「へーそうなんすね」くらいの感じでいてほしかった。むしろ「だったらなんですか」でもいいくらいだった。「そんなの自分の意志とは関係なく起こってることじゃないですか、仕方ないですよ、そんなん普通にありますよ、だったらなんだって言うんですか」と。
皆が皆同じ反応を欲しがってる訳じゃないと思う。でも私は「普通」でありたかった。「自分の意志に関係なく」体が変わってしまうこと、それ自体が「普通に起こり得る」と認識される世界に住みたかった。何かが出来なくなっても、何かが損なわれても、変わらず「普通」でいられる世界。「異常」にならずに済む世界。私は世界にそうあって欲しかった。
残念ながら世界はそうはなりそうにない。だから仕方なく、自分の脳内だけでもそうすることにした。というか、考えてる内に勝手にそうなった。周囲の人の何かが変わっても、何かを病んでしまっても、何かが損なわれても、「へーそうなんですね」としか思わなくなった。「だったらなんですか」くらいの感じである。「自分の意志に関係なく」起こってることなので仕方がないのだ。普通なのだ。反応しようがない。たまに「心配しろよ」だの「可哀想でしょう」だの「相手の身になれ」的なことを言われるが、私が私の身になってこれがいいと思っているのだから仕方がない。
何が書きたかったのか見失ってきたけど今んとこ嘘は書いてない。
これを摂食障害から学んだこと、と綺麗にまとめるつもりはないし、摂食障害になって良かった!なんて思うこともないのだが。少なくとも私を作っている経験のひとつだと思う。
「住みたい世界の価値観で生きる」
何も異常扱いしない。その代わり、特別扱いもしないけど。
最近食べることがやっと怖くなくなってきたので書きました。ただの供養です。