サトウヒロコ@写真苦手な人を撮る写真屋

写真苦手な人を撮ることに幸せを見出す人。各種記念撮影、宣材撮影、ポートレート撮れます。特に振袖を始めとする着物撮影お任せ下さい。お着付けも多少できます。 HP→https://sato-graph.com/ お問い合わせ→ https://lin.ee/Lh6YG9O

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マガジン

最近の記事

撮ることは

自分のことが好きか嫌いかと聞かれたら、胸を張って好きだとも思わないけども、まあそんなに嫌いだとも感じない、というレベルには自分と付き合えていると思う。 カメラマンなので仕方がないと思って欲しいのであるが、ここでも写真に話を繋げてしまう。自分と付き合う上で、写真が大いに役に立っているような気がする。 生まれついてから、自分のことが嫌いであった。持ってるものは持て余しているくせに、持っていないものがいつも欲しくて、でもそれを手に入れることよりも、いっそ消えてなくなりたい気持ち

    • 「面倒な客」に対して思うこと

      独立してすぐの頃、勤めていた写真館の後輩カメラマンの仕事の愚痴をよく聞いていた。先に辞めて身軽になった身分で聞く愚痴は、酒の飲めない私にも良いツマミであった。 ある日のこと、後輩2人がいつものように酒を飲みながら「今度面倒な客が来るんですよ」と言った。「どんな?」と促すと、どうやら持ち込みの小道具があるらしく、「布を持ち込むので、それを背景にして振袖姿を撮りたい」と言われているとのことだった。 「貼る場所ないし」「皺とかどうすんの」「土日の忙しい日に壁に画鋲使って布貼る時

      • よくある質問に答えてミスマッチングを減らそうの巻

        世の中のクレームは大体がミスマッチングによるものでは?と思うこの頃です。できない人にできないことを要求して怒ったり、提供できないことをさも提供できるように見せて怒らせたり。 自分にできること、できないこと、スタンスを明確にした方が悲劇は起こらんのじゃないかな、と思い、「よくある質問と答え」をまとめてみました。 私にできないことが明確に分かりますので、ご依頼前にご一読頂けますと良いかと思います。 ・衣装のレンタルはできますか? できません。 振袖や着物なら私の「着せたい」

        • 無名の小説

          ー前置きー 一昨年くらい、やたらと短編小説を書いていた。 現実で自分に「大丈夫」と言ってあげられなくて、かといって共感してもらえるとも思えなくて人に話せず、1人でコソコソと「自分が大丈夫な世界を文字で創り、その世界の中だけでも自分をへっちゃらにする」ということをやっていた。 その中のひとつを、今でもたまに読み返しているのだが、隠しとく必要もないのでは?と思ったのでアップしてみる。 (とは言え多少恥ずかしいので有料です、問題のある方は静かに回れ右で) 以下から小説部分になりま

          ¥200

        マガジン

        • 写真の話
          30本
        • 写真にあまり関係ない話
          17本

        記事

          宣材写真撮影を撮った時のこと(実例)

          先日、「宣材写真を撮る時のこと」というnoteを書いた。今回はその実例を書いてみようと思う。ちなみに書き出してる現在、お客さんに書いていいかの許可はまだもらっていない。書き損にならなきゃいいな、どきどき。 4月中旬頃、以下のような問い合わせを頂いた。 「宣材写真を撮って頂けませんか?プロの演奏家なのに写真が苦手で。HPで料金は拝見済みなので、ご検討お願いします」 まれに「料金を説明すると返信がこなくなる」という事態が起こるので、この「料金は拝見済み」という一文に容易く「

          宣材写真撮影を撮った時のこと(実例)

          私の撮る花

          少し前にロケ撮影をしていた時、枯れて地面に落ちた桜を見たお客さんに 「あ、サトウさんの大好物ですよ」 と言われたことがある。 お客さんにとっては単なる茶化しだったのかもしれないが、私はそれがなんだか嬉しかった。 私が枯れた花を撮るようになったのは、もう10年以上前のことだ。人に唆されて、個展をやることになった時だった。 何をテーマにするか考えた時に、私はいつも自分が撮ってるもののことを考え、また同時に撮ってこなかったもののことを考えた。私は、花を全く撮らない人間だっ

          宣材写真を撮る時のこと

          宣材写真を撮る時のことを話してみようと思う。 宣材写真を撮れるようになろう、と思い立った数年前、どう撮るのが良いのかを調べたり人に聞いてみたりしたのだけど、分かったのはどうやら「明確な答えを持っている人はいない」らしいということだけだった。 ならばどんな写真でもいいのかと言えばそうでもないようで、写ってる本人は「とりあえずポートレートで撮った写真を使ってるけど、これでいいのか分からない」と言っていたり、宣材を見る側の人は「送られてくる写真のほとんどは相手のことがよく分から

          回れ右

          「休む」ということを、ずっと出来ていないような気がしていた。 撮影をしないのは簡単である。そもそも依頼が入ってない日に撮影はできない。 また、作業をしないのも簡単である。パソコンの電源を入れなければ良い。 そう思えば「休む」のは簡単に思えるが、家に作業場を構える個人事業主の私には、これが「サボっている」ように思えてならない。 撮影がないのは集客ができていないということであってけしからんし、作業をしないのは今やれることを先延ばしにしていることであって、同様にけしからんの

          大嫌いな後輩の話。

          写真館に勤めていた頃の話である。Sという後輩がいた。 Sは大変に人を舐めた人間であった。仕事が遅く、ミスも多く、しかしプライドは高く、こちらがミスを咎めると「テヘペロ⭐︎」と冗談ごとにしようとし、通じないと知るとつまらなそうな顔を隠さず開き直り、こちらがフォローしてるというのに堂々とサボるなどをして、またそれを咎めても「テヘペロ⭐︎」などと抜かし、幾度となく「××すぞ(命を強奪することを仄めかす言語)」と私に言わしめた。 最初こそどうにか仲良くしようと努め、ご飯に行ったり

          墓参りの一部始終をただダラダラと書いたもの

          仏花を買う時、毎回「仏花」の読み方が思い出せずに「これ下さい」と言っている気がする。今年は百合が入っている、少し高めの仏花にした。 晴れた海で撮りたい、というお客さんの要望に「じゃあ晴れそうな日に呼んで」と言っており、呼ばれたのが丁度おばの命日であった。 海は鎌倉を予定していて、おばの墓も鎌倉にある。呼ばれたとしか思えない。これで無視したら枕元に立たれそうな気がして、撮影後に墓参りに行くことにした。交通費が浮いたことを考えると、百合の入った仏花くらい買わないと申し訳ない気

          墓参りの一部始終をただダラダラと書いたもの

          しゃーない

          私の記憶が確かであれば、フリーのカメラマンとして独立してから5年が経った。計算が間違ってる可能性なら大いにあるが、とはいえ4か6の違いだからどっちでも変わらない。 「誰でも3年は食える、問題はその後」と独立時お世話になった師匠は言っていた。その3年は確実に過ぎたので多少の安心はあるが、何年だろうと潰れる時は潰れるのを知っているので、不安はまだ不安である。 しかも思い返してみれば、5年もやっていればコネだのツテだの増えてても良さそうなものなのに、私ときたら知人が善意で回して

          α7と私

          あれは何年前だったであろうか。少なくとも私は30代、時代が平成と呼ばれていた頃だったと思う。私は中古でα7というカメラを買った。 私は長いこと「写真は好きでもカメラは嫌い」という複雑な感情を腹に抱えていて、それは主にあのカメラの偉そうなデカさと重さ故であった。育つということに対して意欲のなかった私の手はとても小さく、また握力も皆無で、そんな私の手にフルサイズのデジタル一眼レフカメラはどれもこれも大きく、そして重かった。カメラの必要性は十分分かっていたし、カメラの歴史で考えれ

          私と男着物

          生きている以上、誰しも「女だから」「男だから」という言葉に触れたことがあると思うのだが、営業写真業界でもそれは変わらず、むしろ営業写真だからこその「女だから」「男だから」を聞く場面がある。 「男だから写真は撮らなくていい」 「女の子なんだから振袖は着るべき」 「男はカッコ良く」 「女の子は笑わないと」 「男の子なら黒」 「女の子はやっぱりピンク」 新人の頃はそんなもんなんか、と思っていたのだが、真面目に聞いても説得力みたいなものは感じ取れなかったし、「女だから」「男だから

          私と着物

          着物を撮るのが好きだ。 どうして好きなのだろう。「写真館でずっと撮ってて得意だから」は少し愛に欠ける気がするし、「日本人だから」と遺伝子頼みにするのは思考放棄な気がする。写真館を辞めて独立する時、「これからは着物以外も撮れるぞ」とは思ったが、「着物が撮れなくなってもいい」とは思わなかった。この世に確かなものなどないと思う私でも、この気持ちは確実だと思う。私は、着物を撮るのが好きだ。 写真館に入社した時、私にとって着物は怖いものだった。そもそも人間を撮るのが怖かった私だから

          写真のセンスがない。

          写真のセンスがない。 写真を始めて優に10年を超えるのだが、自分にセンスというものを感じたことが一度もない。写真をやらない人達が「私にはセンスがないから」と言う度、「私にもないけどな、ははは」と自虐的な気持ちになる、というのをずっとずっと繰り返している。 色んな写真家の写真を見ては「なんだこれすげえな」と思い、「自分にはこういうセンスがないなぁ」と思う。そんな人間だから「自由に撮れ」と言われると困ってしまう。 写真館に入った頃、「自由に撮っていいよ」と言われた時にはまさ

          ポートレートを撮る時に考えていたことの一例

          私とお客さんが納得したらそれでええわい、と思うタチなのであまり写真の解説はしてこなかったのだが、どのように撮影が進むかを話してみるのもたまにはいいかな、と思ったので書いてみる。今回は春画撮影で撮らせてもらったお客さんの一例。 春画撮影とは、私が企画した撮影会のテーマである。「カメラマンや鑑賞者の為ではなく、被写体の為に性を撮る」という内容だった。撮ろうと思った時の話はこちらから→「苦手な写真を撮った話」 まずは申し込んでくれたお客さんに何かイメージがあるかをメールで聞いて

          ポートレートを撮る時に考えていたことの一例