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虎に翼 第23週。時の流れ。

時は流れる、物語は進む。

優未は高校生になり、のどかは就職。直人は司法修習生、朋一は長崎で判事補。若い人たちはみんな成長していく。一方、雲野先生は原爆裁判の途中で倒れる。梅子さんのおにぎりを最後まで落とさないの、雲野先生の優しさだなあ。そして懐かしい記者、竹中の再登場。

カーディガンを着込み、扇子で顔をパタパタあおぐ寅子。体や指先は凍るように冷えるのに、顔だけほてるんですよね、顔から汗がぼたぼたと落ちるし。わかるー。
長年苦しんだ重い生理がやっと終わろうとする頃、今度は更年期として別の苦しみがやってくる。なんとまあ思い通りにならない女の体。
生理痛に悩んでいる時はよねさんが三陰交のツボを教えてくれた。今は梅子さんが「こちら側へようこそ!」と、先輩として笑っていてくれる。みんなで助けあって、この言うことを聞いてくれない体をなんとか乗りこなすしかないんですよねえ。


更年期の先には「老い」が待っている。
緩やかに進む百合さんの認知症。小さな物忘れから始まり、いつもきれいに巻いていた髪に艶がなくなり、光が消えた目で一点をぼうっと見つめ、そうかと思うと突然怒り出し…。その様子のあまりのリアルさにふるえました。はみ出して塗られた真っ赤な口紅、亡き夫の写真をだらりと持つ指先など、細部ひとつひとつに今の百合さんが表れていて。余貴美子さん、すばらしい。
バナナをむさぼるように食べながら「朋彦さんのもとへいきたい」「ごめんなさい…ごめんなさい…」と泣くシーン…ああ。家族もつらいけど本人がいちばんつらい。

ここで気になったのでバナナのことを少し調べました。1963年、つまりあのシーンの年の春に輸入自由化になって、庶民の食卓に並ぶようになったとのこと。そして翌年の1964年は東京オリンピック。日本は高度成長期で景気が良くておいしいバナナも食べられて、という時期。でも同じ頃、その流れに取り残され、苦しんでいる人たちがたくさんいた。

「私ね、苦しいっていう声を知らんぷりしたり、なかったことにする世の中にはしたくないんです」

百合さんに語りかける寅子の言葉。雲野先生も岩居先生も、轟もよねも、汐見も漆間もみんな「なかったこと」にされそうな原爆被害者たちを救いたい。でも彼らが大切に守る「法律」だけでは、それができない。もどかしい。
判決文に今の想いをこめる判事たち、裁判について伝えようとする記者たち、そしてこの裁判を見届けようと席につく傍聴席の市民たち。それぞれがそれぞれの戦いをしていた。弁護側も、もちろん原告たちも、そして国の代理人となってたくさんのものを背負っていた反町も。反町役の川島潤哉さん、よかったなあ。舞いあがれ!のリュー北條の時もそうだったけど、いるだけでドラマを深くする人。
判決文を読み上げた汐見役の平埜生成さんも、よかった。目と声で、立ちあがろうとする記者たちをまた座らせる迫力。
このドラマ、朗読シーンがすべていいですよね。聞き入ってしまう。

家族の誰かが作っただろうお弁当を食べる反町さん。あのシーン、印象的でした。よねさんの涙も。

時は流れる。

ずっと作り続けていた梅子のあんに、やっと、桂場から拍手が贈られた。

あんなにやさぐれていた道男は、見事な寿司を握る職人になった。彼をここまで育てた笹寿司の笹山のおっちゃん、ありがとう。けれどもうおっちゃんは、あんなに好きだった傍聴には来ることができない。接客も経理も苦手な道男は笹寿司を継ぐ自信がなく、店を閉める。

ここでまさかの、梅子さんからの竹もとと笹寿司の合体提案。和菓子とお寿司、すてき。そして「竹」と「笹」って、そういうことだったの!

「あなたが苦手と言ったもの、私、ぜんぶ得意。あと、私、頭はすこぶるいいわよ。うふふ」

梅子さんもすてき。

竹もとのご夫婦も引退。物語の最初から、ずっとみんなを見守ってくれてありがとうございました。

自分を散々さげすんだ嫌な夫の介護をして、愛した息子たちは思うようには育たず縁を切り、法律の勉強は実を結ばず…。
こう書いてしまうと梅子さんの人生はずいぶんとつらいものに思えてしまうけれど、いつも彼女はキラキラしている。学生の頃、花岡をはげましたあの日から彼女は変わらず、若い人たちを笑顔とおいしいもので導き続けている。
竹もとのご夫婦と梅子さん、梅子さんと道男、道男と笹山のおっちゃん。血のつながりはない、家族のようなもの。別のドラマでいうところの偽家族。この人たちならきっと大丈夫。


それにしても予告の桂場と多岐川さんが気になる。みんな大好きよ、そんなに急いでさよならしないでね。

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さとひ(渡辺裕子)
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