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虎に翼 第24週。偉い人のせつなさ。

*9/18ちょっと追記あり、ラストに。

昭和43年から44年のできごとが描かれた第24週。寅子は50代なかば。
つまり、私がおぼろげに覚えている時代を、今の自分と同年代の寅子が生きている。花江ちゃんの髪型なんて、あの頃の母がしてたのと同じ。
そして立派なカラーテレビがある寅子の家は、本当にお金持ちだなあ。うちにテレビ(白黒)が来たのはこの数年後、それも壊れかけの中古をどこかからもらってきた覚えがあります。
手元の書類を見るときだけ老眼鏡をかける寅子、同年代としてしみじみと、わかる。

寅子や航一さんたちの世代は年を重ねるのと同時に、それぞれ「偉い人」になっている。桂場なんてとうとう最高裁長官にまでのぼりつめた。

…いや、でも、「偉い人」って…つまんないですね。


まだ何も持っていない若い頃は、無くすものもないからこわいものなしでひたすら突き進むことができる。中年になって「偉い人」になると、背負っているものが多すぎて、失敗はできない。

カッとしてにゃにゃにゃにゃー!と手が出てしまう寅子はもういない。静かに理屈で相手を攻めていく。桂場も、おいしい団子を食べに竹もと改め笹竹にふらりと立ち寄ることもなくなった。

偉くなって、お金持ちで、家にすてきなカラーテレビがあって、仕事が忙しくて…あの頃夢見ていた幸せ、なんだと思う。けれど、その「偉い人」になった幸せは、あまり楽しそうに見えず。で、その感じが、なんとなく、寅子と同年代の私の気分と重なってしまい、「年をとるって…つまらない、かもしれない…」ともやもやしながら見てます。

家裁にやってくる少年少女、被告となった大学生、ヒャンちゃんの娘の薫…寅子たち「おとな」や「偉い人」に反発する若い人たちの生き生きした無茶さ(いや、悪いことをしたらいけないんだけど)が、まぶしい。
そして、今やっと、穂高先生の抱えていたせつなさがわかった気がします。

反発する若い時代を経て、古いものはそんなに簡単には壊せないと思い知って、だから「自分は石を穿つための雨垂れのひとしずくでいい」と思っていた。自分にはできなくても、そのあとの世代がきっとやってくれる。それに託そうと信じてくれていた、穂高先生。広く長くものごとを見る目。でも若い寅子には、そんなこと言っても伝わらない。だって、消えてしまう雨粒になんてなりたくない、あとのことなんて考えられない、今すぐ自分の力で変えたいんだもの。その「私ならきっとできる、すべて手に入れられる」という寅子の若々しい希望を、穂高先生はまぶしく思っていたのかもしれない。

穂高先生のやり残したもの・「尊属殺人罪は憲法違反である」という訴えは、よねと轟が引き継いだ。落ちた雨垂れは消えずに、そうやって長く誰かといっしょに戦っていくものなのだ、と今の「偉い人」となった寅子ならきっとわかる。

「偉い人」になるのはつまらない。若い人たちに全然気持ちがわかってもらえなくてせつないし、孤独。でもあとに何か残していけることを知っている。本当に偉い人だった穂高先生も、せつないけれど、楽しかったんじゃないかな。

さて偉い人・寅子はどんな楽しみを見つけるのか、あとに残すのか。桂場はまたあんこを食べられるのか。あの謎の女子高生は何者か。いよいよ終盤!

あとの世代に愛を伝えていった「偉い人」多岐川さん、おつかれさまでした!

9/18 9:20追記。とはいえ、男性で、普通に大学に行けて普通に法律を学べて普通に法を職業にできた穂高先生が、そうはできないことを知ってるのに「女子も自分も同じ雨垂れ」みたいにスピーチで言った件に関しては、寅子は怒ってていいと思うのよ。

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さとひ(渡辺裕子)
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