「芋たこなんきん」の、ふたり。
町子さんと健次郎さん。中年になってから夫婦になったふたりはお互い作家と医師として仕事が忙しく、家では大家族のみんながあれこれ事件を起こす。それでもそんな怒涛の1日の終わり、毎晩のようにふたりはお酒を前にしてひたすらおしゃべりをする。
長いこと別々に生きてきたふたりは、すべての意見がきっちり一致するわけではなく、どちらかというと正反対の考えのことも多い。でも「自分と違う考え方をする人が目の前にいる」そのこと自体をお酒のつまみのようにして、うれしそうに「そうかなあ」「いや、違うやろ」と言い合う。
相手にしぶしぶ合わせるのでもなく、論破するのでもなく、違う意見の存在を当たり前だとおもしろがり、よろこびあう。
そんなふたりのおしゃべりが、大好きです。
朝起きて、コーヒー飲みながらふたりの会話を見るのも楽しいし、録画を夜まで寝かせておいて、自分もお酒を用意しながらふたりのお相伴をするように再生するのもいい。
大好きになったのはふたりだけじゃなくて、町子さんの家族も、健次郎さんの家族も、彼らが生きる町内のみんなも、1週間しか出番がなかったような人たちまで、みんな好き。病院にきたあの患者さんは元気かな、あの編集さんはがんばってるかな、そんなふうに心のどこかにいつもいる。全員しっかりと、芋たこなんきんの世界の中で生きていた。
それから、なんといっても純子さん!
ばりばり仕事ができて、許せない!と思ったらカッとしてしまうところもあって、かわいらしくて、映画好きなロマンチストで、恋と仕事と友情にきっちり線をひける人。ああここに純子さんがいてくれてよかった、そんなシーンをたくさん思い出せる人。
町子さんと純子さん、この「ふたり」も最高でした。雇用主と秘書であり、友人であり、戦友。
ほんとに、今、こうして芋たこなんきんに会えて、あの人たちに会えて、うれしい。再放送をしてくれてありがとうNHK。
朝、8時からの15分を毎日、6ヶ月。
朝ドラを全部見るかどうかって、その時どういう生活をしているかに左右されますよね。
芋たこなんきんが放送された2006年頃の私は、朝ドラの時間にテレビの前にはいられず、この前後の作品も見ていません。
(追記・芋たこの頃は8時15分スタートで、「ゲゲゲの女房」から8時に変わりましたね。実は私が朝ドラを見るようになったのはゲゲゲの途中からで、その時間と編成の変更は私にとってかなり大きかったと思います)
今回初めて見て、なんという傑作だ、なんであの時見ていなかったのかと悔やむ気持ちもあるけど、もしかしたら16年前の私は未熟すぎて、この作品のよさがわからなかったかもしれないとも思います。今、町子さんの年齢と重なるような年になって、ああ、そうか、と腑に落ちるシーンがある。だからもしかしたらまた16年後くらいに見たら、違う発見があるかもしれないですね。町子さんのお母さんとか、バアバアばあちゃんの気持ちがいっそうわかるようになるのかも。
最終回まであと2回を残すだけ、というタイミングで今こうして書きながら、そうだよね、ドラマは終わるけど町子さんたちの物語が終わったわけじゃないよね、と感じてます。写真館が焼けてみんないなくなっても、何かにつけてお父ちゃんたちのことを思い出すように。
ほんとに、何年かごとに再放送、してくれないかなあ。いつまでもこの物語が終わらないように。また「ふたり」に会えるように。
ほな、また!