情熱あふれる演奏会
今日は、「横浜音祭り2019 オープニングコンサート」に行ってきました。
初、オーケストラ。
人生で初めてのオーケストラ鑑賞。
生の弦楽器の音の厚みに感動しました。
こんなに太く滑らかな音が出るんだ…って感じ。
しかも、取った席はステージの横についてる席(みなとみらいホールです。)。大好きなテューバの生音が間近で聴けて、アンドレアバッティストーニの指揮もいいアングルから見れて、最高でした。
いやぁ、至福の時間だったなぁ。
テューバの生音
ここ最近、自分も理想の音に悩み始めていて「どんな音を目指したらいいんだろう……」と思ってましたが、今日の演奏会で何となく目指すべき形がまた出来ました。
前回は侍ブラスを見に行ったので、今日まで、次田心平さんのよく響いた音を目指していたのですが、今日の東フィルの大塚さん?の音は全然違う音でした。
だいぶ質量の大きい感じの音で、まっすぐしつつもその周りは柔らかくカバーされているなぁと。
場面ごとにいろいろ吹き分けはされていたものの、低音域の音色の方が自分と近いかなぁなんて思いました。
あしたからは、低音域からの半音階でロングトーンをしようと思います。
さらに、自分たちの音よりもう何千倍も音程がはっきりしてました。まえ何かで見たけど、倍音をたくさん鳴らそうと思わなくてもいいのかなぁと改めて思いました。
次は曲の感想。
日本童謡メドレー
日本の童謡が、綺麗で滑らかのピアノと少年合唱のメドレーになったこの曲。
まず、最初の「赤い靴」が始まる前のピアノ。
すごくいいメロディー。
そして「赤い靴」。ここで合唱も登場。独特の雰囲気が醸し出されてて、うまいなぁと単純にそう思いました。
次に「浜辺の歌」そのまえの「赤い靴」とは違って明るい響きに。合唱団の歌声の声色の変化に驚き。あんな風に音色変えたいな。
さいごに滝廉太郎の「花」。中学の音楽のテストで歌ったのを思い出したり。じぶんがテストで歌ったときとは表情の豊かさが桁違いで、こんな風に表現できるんだぁと。引き出しを一つ増やせた気がします。
展覧会の絵
去年、習志野高校吹奏楽部の吹奏楽コンクールでの演奏を聴いて「これ、本物のオーケストラで聴きたい!」って思ってた曲。
やっと念願の夢がかないました。
どの曲も最初の拍手が終わってから曲に入るまでの時間が短くて、しかもその世界観にすーっと引き込まれて「またやられた!」って思いました。
最初のプロムナードのトランペットがのびやかでよかったです。
この30分に及ぶ曲の中で、今日いちばん印象に残ったのが「カタコンベ」と「死せる言葉による死者への呼びかけ」そして、「キエフの大門」。
「カタコンベ」
暗く、どんよりした鈍重な音楽がすごく印象強かった。重たくて重厚で沈んでいく雰囲気。低音の力強さ。弦の響きがすごくよかった。
バッティストーニがすごい吠えてたような。喉の奥から絞り出すような声がもはや音として演奏に参加してる感じがした。
これからの低音セクションに生かしていきたい。
「死せる言葉による死者への呼びかけ」
弦楽器の奏でる音が倍音がよくなってて、まるで人の声で歌ってるような響き。
透き通ったクリアな音で、柔らかく話しかけるような音だった。
なんとも言えない絶妙な雰囲気がとても好きでした。
ムソルグスキーが友人と対話する。その様子が頭の中にイメージとして浮かび上がってくるようなものでした。
「キエフの大門」
やっぱりこの曲の最大の見せ場、キエフの大門。
最初は落ち着いて入ってくる分、その後の感動が倍増されて、思わず泣いてしまいました。
アンドレアバッティストーニの音楽に圧倒され続けた最後の数分間。
迸る情熱、という言葉がぴったりな感情大爆発な演奏。「芸術は爆発だ」ってほんとにそう。
大音量の迫力と、指揮の表現の豊かさ、バイオリンの弓の動き、金管の分厚いサウンド感のすべてが感情を揺さぶりに来る。
なんで泣いてるのかわかんないけど泣けてくる。
その情熱、奏者の熱気が客席まで伝わってくる。
聴いている側まで体温が上がる。
すごく良い体験ができました。
こんなふうに、よく分からないけどなんか泣けてくるくらい感動する演奏をしたい。