美味しいの一言
現在、私は青森でりんご農家として生活しています。
現在ではたくさんの仲間やお客様に恵まれましたが、ここまでになるには本当にたくさんの出来事がありました。
就農するまで
高校卒業後、地元の建設会社に就職。現場監督として6年働き結婚と同時に退社。家業の「りんご農家」となりました。青森=りんごと言われるほどの基幹産業ではありますが青森の中でも特に栽培が盛んな地域に住んでいるため、農家の長男であるから、と心の奥底に「いずれは農家を継ぐ」と漠然と思っていたのもあります。
農家の高齢化、後継者不足というのは私が就農を決意した時から深刻でしたが、私が就農したいと初めて父に打ち明けた時、猛反対されたのを今でも覚えています。天気や市場価格に左右されやすく沢山の苦労をしてきた父。これから結婚しようとする息子には少しでも安定した職業について欲しかったのでしょう。それでも私は1年間無給という条件で就農しました。
就農してから
就農してから毎日、日の出から日没までの農作業。それでも「いいりんご」を作りたいという一心で1年間作業しました。次の年、父からは経営譲渡されまだ農作業もわからないことが多いのにも関わらず、2年目にして経営者となってしまいました。父の代ではりんごの品評会やJA等から表彰されていたのできっと我が家の経営もいいのでは?と思っていたのが大間違いでした、、、。初めて確定申告をしてみて驚愕。良かったと思っていた我が家の経営は大赤字。倉庫や機械導入時の借り入れも数百万。さすがにこれではダメだと思い本気になって農業経営の勉強。
SATOFARM 佐藤農園として動き出す
経営の勉強をしていくなかで、答えは簡単でした。情勢に左右されやすい市場出荷、JA出荷からの脱却でした。市場やJA出荷では毎年価格が変動し売価を自分で決めることができないのです。いくら自分がこだわり抜いていいりんごが取れたからと言ってその価格は市場やJAによって決められます。春から膨大な経費を使い収穫したりんごが経費を支払えば何も残らないという状況でした。
とりあえず初めにホームページを作ろうと決意。当然業者に委託できるような余裕もなく、ホームページ作成ソフトを購入しなんとか、なんとか開設。トップページと商品紹介ページがある程度のホームページでしたが、これで今年から直接お客さんにりんごが売れると思っていましたが甘かった、、、ホームページを作ったことに満足し、お客さんにアピールするということをしてなかった。何度も言いますが当時、経営的には余裕もなく宣伝広告費などというものはありません。今ではSNSの普及とともに個々が宣伝アピールすることが可能な時代となってますが当時はそんな便利なものはありません。そこで無料で始められるブログに目をつけすぐに開設。週最低3回の更新を続け、ブログで交流し今でもご注文いただくお客さんもいます。その後facebook、Instagramと開設し佐藤農園としてデビューして10年以上経ったころからようやく軌道に乗ってきたかなと思います。
この仕事を選んだわけ
改めてどうしてこの仕事を選んだのか?考えてみました。
決して農家は楽な仕事ではないし、労働時間も短くありません。天候に左右されることも多く、自然相手のことなので思うようにいかないことの方が多いです。
家族経営で親とぶつかることも多く、本当に楽な仕事ではありません。
それでも、今まで一度も農業をやめようとは思ったことはありませんし、これからも続けて行くつもりです。
冬の厳冬期、ハサミとノコギリを腰に下げ剪定作業
花が咲いたら受粉作業や摘花作業
実がついたら摘果作業
秋には着色管理や収穫、発送作業
りんご栽培のほとんどの作業が手作業なんです。
沢山の困難を乗り越え毎年収穫されたりんごを購入してくれ、そして沢山の方に紹介してくれるお客さんまでいます。
「美味しい」「美味しかった」
たった一言。自分が一年かけて作ったものが全国各地のお客さんに届き、「美味しかった」と言われた時の感情はこの仕事をしてなければわからない感情です。自分が作ったりんごが評価されることは我が子が褒められる感情に少し似ています。この感覚を味わってしまうと他の職にはつけません。
毎年全く同じものは作れませんが、「昨年よりも美味しいものを作る」という信念のもとにこれからもこの仕事を楽しみながら続けていこうと思います。