
スマホを忘れただけなのに
先日、とある早朝勉強会に参加した際のちょっとした出来事。
朝7時30分にはスタート会だったのでが、電車で間に合うギリギリのタイミングで起きてしまい、ドタバタの準備の中で家を出て急いで駅へ。
最寄り駅について勉強会に間に合う電車に乗れるなあとほっとして、さてスマホを見ようかなと内ポケットに手を入れたら、、
スマホがない。。
あれ、スマホ無くしちゃったかな、、?
かなり焦って、血の気が引きました。。
そう言えば、家を出る間際のドタバタで充電したまたスマホを家に置いてきたことと思い出す。
スマホを落とした訳でも、無くした訳でもなく、家に忘れてきただけなのに何だかとっても不安な心理状態に。
焦った状態で、そうだ、スマホを家に置いてきたことを奥様に連絡しておこうとスマホを探し始めて、、
あれ、スマホ家に置いてきたんじゃん。
これ、コントじゃん。
もう笑うに笑えない、結構情けない感じになってしまいました。
単に、スマホを家に置いてきただけなのに、スマホを持っていないということが、これだけ不安になるものなのか、と愕然としてしまいました。
家には引き返せないし、これはもう今日一日、スマホ無し生活で行こうと覚悟を決めて電車乗り込む。
鞄には読みかけの文庫本もあるし、読書はかどるなあ、、
と思ったものの、でもなんだかスマホを持っていないとなんとなく違和感というか、手持無沙汰を感じてしまう妙な心持ちが続きました。
「手持ち無沙汰」
何もすることがなくて暇なこと。
今や、隙間時間をどのように効率的に過ごすか、あるいはスマホでその時間を埋めていくかの生活(でも動画とか見ちゃって時間が過ぎてしまったり)で、「手持ち無沙汰」の時間なんてないのかもしれません。
でも一方で、「手持ち無沙汰」の時間をぼーっと過ごすことは、むしろ贅沢な時間の使い方なのかもしれません。
その日の午前中は電話とか緊急のメールとか来たらどうしようと心穏やかではなかったのですが、午後は「まあいいや。」という感じで、スマホから離れるのも悪くないなと思ったり。
夜、家に帰って直ぐにスマホを見てみたら、古い友人からの久々に「元気~?」というメール1通と、広告メールが数件。
そんなもので、自意識過剰な感じでした。
今日のあの不安な心理状態は何だったんだろうか。。と思ってしまいました。
今の生活にスマホは必需品で、離れる訳にはいかない感じになっている。
でもホントに離れられないのだろうか。
とは言え、上手く付き合うことを意図的にして行かないと、スマホ依存がますます根深くなって行くのだなあと改めて実感しました。