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rainorshine
皆リレー選手であるという事について
谷川俊太郎の「朝のリレー」は好きな詩のひとつです。
「朝のリレー」
カムチャッカの若者が
きりんの夢をみているとき
メキシコの娘は朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウィンクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴っている
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
〔谷川俊太郎詩集:ハルキ文庫p68〕
この詩には代表選手として少年、少女が登場していますが、赤ちゃんも大人も老人も皆がリレーをしているのだと思います。
そして、ひとたびどこかの地域で悲しい出来事が起こってしまえば、私は、地球の誰かから受け取った朝を、地球の誰かに送り届けることができなくなってしまう。
バトンを渡せずそのリレーが途切れてしまう。
市井の一庶民として何ができるかを考えつつ、谷川俊太郎の詩を読み直しながら、言葉の力を改めて感じている今日この頃です。
だいぶ前のネスレのCMでこの詩が放映されていて、とても印象的でした。