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護国寺の運慶
夏目漱石「夢十夜」の第六夜。
明治時代の東京・護国寺に運慶が現れた夢のお話しです。
![](https://assets.st-note.com/img/1720266182817-A0EeLAMGFe.jpg)
「こんな夢を見た」で冒頭が始まる短編集。
幻想的で詩的な十編のお話。
仏師「運慶」が漱石の生きた明治時代に、護国寺で仁王を彫っている。
そこにふらりと主人公が訪れる。
運慶と言えば鎌倉時代の代表的な仏師。
東大寺南大門の仁王をはじめ諸寺の造仏に従事した日本史上有名な人物。
その運慶が、明治時代の護国寺で仁王を彫ってい入るということであれば話が広がり、山門には多くの人だかりができてもおかしくない。
ちなみに、奈良・東大寺の南大門金剛力士像は、鎌倉時代初頭の建仁3年(1203)に運慶や快慶ら仏師たちによって造像されたもの。
東大寺の像の高さは8m以上。
先日、奈良・東大寺へ仁王像を見に行ってみましたが、その迫力に圧倒されました。
![](https://assets.st-note.com/img/1720267114653-AKTcl7lwCF.jpg)
右下の方は大柄な外人さんでしたが、その人と比較しても仁王様は巨大。。
「周囲を睥睨(へいげい)する」という表現はこういう時に使われるのかなと思いました。
![](https://assets.st-note.com/img/1720266484175-lYekKcRtAp.jpg)
仁王は仏の智慧を象徴する神聖な武器・金剛杵を持って
邪悪なものを寄せ付けない存在として寺院の表門に祀られることが多いとのこと。
夢の中では東大寺のような8m級の仁王像を護国寺でも彫り進めているのだろうか。
多くの見物人は、運慶の写実的で生き生きとした表情を木に込めることができる技術のすばらしさを褒めたたえています。
そして、それは「木の中に仏が埋まって」いて、それを彫り出すことなので、そのような仏様を彫ることができるのだと観ている人々は感心している。。
「なに、あれは眉や鼻を鑿でつくるんじゃない。あの通り眉や鼻が、木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」
それを聞いた主人公は、彫刻とはそんなものか、自分にもできると思い家に帰って早速、手ごろな大きな薪で彫ってみたが。。
「自分は積んであった薪を片っ端から掘ってみたが、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているものはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないと悟った。それで、運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。」
なかなか印象的な終わり方。
護国寺はいつも利用している路線の駅名にもなっており、こちらも先日ふらりと立ち寄り仁王像にご挨拶して来ました。
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人もまばらで山門はひっそりしていました。
護国寺は真言宗豊山派の寺。
天和元年(1681年)五代将軍徳川綱吉の生母・桂昌院の発願によって建立されました。
護国寺の仁王門正面の両脇には金剛力士像(阿形像、吽形像)があります。
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護国寺は江戸時代建立。
当然、護国寺の運慶は「夢の中」の話。
お会いした仁王像は運慶の作ではなく、高さも3mくらいで奈良・東大寺の像には及ばない。
しかし、こちらもかなり迫力のある像になっています。
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さて、夢十夜に関しては様々な解釈、評論がありますが、自分としては
「仏像は木の中に本当に蔵されていたのかどうか」
という点が気になりました。
主人公は「明治の木には仁王は埋まっていなかった」と語っています。
しかし
①「埋まっているけど見いだせなかった(気づかなかった)」
という場合と、
②「ホントに埋まっていなかった」
という二つの場合があるような。
①の場合、その人の眼力に関わるものとも言えなくはない。
この場合、芸術のセンスのようなもの、あるいは「物事を観る力」、「見えないの物を観る力」とでもいうものなのかもしれません。
主人公はその眼力があったのだろうか。
『ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないと悟った。それで、運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。』と語っています。
「悟る」(=真理を理解する)と言うような大きな言葉で言い切っている一方で、その次には「『ほぼ』解かった」と語っている。
なぜ、「ほぼ」なのだろうか?
「悟り」の境地まで行っているのであれば、明確に「理由もはっきりと解かった」の表現でもよかったのではないか。
主人公の心の動きに対して、一歩引いて冷静に眺めている漱石の存在があるような感じもします。
その時代の中で、物事をスパッと割り切り、言い切り次の行こうとする主人公の気持の一方で、言い切れない何かを認めざるを得ないようなものがあるのではないか。
「夢十夜」は明治41年(1908年)に発表された作品。
そして日露戦争は明治37〜38年(1904〜1905年)。
「坂の上の雲」を目指して疾走している時代に、漱石は何か感ずるものがあり、敢えて仏師「運慶」を登場させたのではないか。
仮に、運慶が明治の木で彫った場合はどんなことが起きるのだろうか。
もしかしたら、運慶はそこに明治なりの仁王を見つけたのではないか。
令和の時代の東京・護国寺に佇みつつ、もしかしたら、同じこの山門を同じ所で夏目漱石も見ていたかも知れないという時空を超えた親近感。
そんな感じを抱き護国寺を後にしました。