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ブルース・フッド「人はなぜ物を欲しがるのか」を要約する

人は何も持たずにこの世に生まれ、何も持たずにこの世を去る。だが生と死の狭間、人生という舞台に立つこのわずかなひとときだけは、あたかも自分という存在が所有物によって定義されるかのように、人は所有を誇示し、所有に思い悩む。多くの人はこの絶え間ない所有の追求にがんじがらめになった一生を送り、ときには自分や子どもたちの命の危険をも顧みず、果ては地球の未来すら棒に振ろうとする。この状況を変えるためには、所有とは何か、所有の概念がどこから来たのか、所有からどのような動機づけが生まれるのか、そして所有に依らずとも同じくらい幸福になるにはどうしたらいいのかを、私たちは理解しなければならない。

ブルース・フッド「人はなぜ物を欲しがるのか」白揚社 p.20

私たちの多くは、豊かな社会で暮らしながら所有を人生の目的とし、より多くの資産の蓄積を目指している。しかし、基本的なニーズや快適さが満たされた後は、それ以上の所有は必ずしも充足感をもたらさない。それでも所有欲は飽くなき欲望として人々の心を支配し、生涯を費やす無意味な追求へとつながることもある。私たちが物理的世界の一部であると同時に、限られた寿命の中で所有を通じて自己を定義しようとする姿勢は、結果的に自己を損ねることになりかねない。この状況を変えるためには、所有という概念の成り立ちやその動機、そして所有に依存しない幸福の在り方を再考する必要がある。

所有は本来、法的権利であり、人間社会の基盤となる重要な概念である。所有という概念がなければ人々の生活は混沌としてしまう。ただし、本書で強調したいのは、所有は単なる法的権利に留まらず、人間の心理に深く影響を与える力を持つということである。この「心理的所有」という現象は、法的に所有していないものに対しても適用される。人々はモノに対して強い所有感や愛着を抱くことがある。この心理的所有の背後には、進化論的に説明される競争本能や、文化的背景に基づく所有の社会的な側面がある。進化論的な視点では、貴重な資源を独占することで生存と繁殖を優位に進める戦略とされ、一方で文化的視点では、定住生活の発展に伴う法的な基盤ともみなされる。

所有はルールや法律という形で社会を形作っているが、それに加えて、人間を心理的に操る力も備えている。法的な所有権は社会の所産であるため、所有に伴う権利は法制度によって明快に規定され、守られている。だが所有には、法律では定義しきれない側面もある。私たちは、必ずしも必要のないものまで所有しようと躍起になる。人間の心の中には、人を所有に駆り立てる、何か深い情動が存在する。これが心理的所有である。所有しているという満足感によって生じる感情体験で、法的な所有権の有無とは必ずしも合致しない。法的に所有しているが気に入らない場合もあるし、逆に、法的に所有しているわけではないが大切にし、自分の所有物だと感じる場合もある。要は、どう感じているかだけが問題となるのだ。

ブルース・フッド「人はなぜ物を欲しがるのか」白揚社 p.61

所有欲が競争心に刺激されていることは明らかだが、所有の起源については二つの学説がある。進化論に基づいた説明では、所有は競争本能の遺産であるとされる。貴重な資源を自分だけが独占できる排他的アクセス権があれば、生存と繁殖をめぐる競争で優位に立てるからだ。これは単純な占有と呼べるかもしれない。そこで重要になるのは、資源を入手できるかどうかである。もう一つの学説では、占有とは異なる文化的な概念として所有という概念が提唱され、共同体が定住しで政治体制や法制度が発展すると、所有が生じるとされている。この場合、競争とは第一義的に社会的なものである。人間にとっては、どちらの見解もある程度は正しく、どちらも生存に必要な戦略ととらえることができるだろう。

ブルース・フッド「人はなぜ物を欲しがるのか」白揚社 p.67

所有欲の背後には競争心があり、社会的ステータスや他者への示威行動として消費が行われることがある。例えば、ブランド品や高級品はその典型であり、これらの物を所有することによって、快楽中枢が刺激されるだけでなく、自信や社会的優越感を感じることができる。一方で、他者から「模倣品」を所有していると見られる場合、罪悪感や不誠実さを感じる場合もある。このように、所有物は人間の心理や行動に深く影響を与える存在であり、その意味は単なる物理的な価値以上のものである。これは本書のメインテーマの一つにも通じる。すなわち、所有は延長された自己概念の表れではないかという洞察だ。

デジタル化の進行による所有物の非物質化が進む中でも、物理的な所有物は私たちのアイデンティティ形成や感情的満足において重要な役割を果たしている。例えば、アナログレコードや紙の本といった一部の物理的メディアが残り続けているのはその一例である。アナログレコードは2017年にイギリス国内での売上が過去25年間で最高を記録した。同様に、紙の本も多くの読者に支持され続けており、電子書籍の売上が停滞する傾向が見られるのは、こうした物理的所有物への根強い需要を反映している。

モノに触れたい、実際に手に取りたいという欲求は、広義において「フェティシズム」として説明される。「フェティッシュ」という言葉の起源は、ポルトガル語の「feitiço」(呪符や魔術を意味する言葉)になる。この語が最初に使いだしたのは、アフリカを訪れたヨーロッパの旅行者たちだった。彼らは、特定の物体に超自然的な力が宿ると信じ、それを崇拝するアフリカの風習を目撃し、それを「物神崇拝」と呼んだ。現代の文脈では、この「フェティシズム」という概念は、物理的な所有物への執着や愛着だといえる。例えば、アナログレコードや紙の本を好む人々がそれらの物理的な特性に特別な魅力を感じることは、単なる実用品としてではなく、音質や質感、香りといった物理的な特徴が持つ情緒的な力に強く惹かれるからである。このように、フェティシズムは私たちの所有や感覚にまつわる深い心理的な要素を示す重要な概念として存在している。

人間は所有の力を通して自己を世界に拡張し、所有物を通してアイデンティティーとステータスのシグナルを他者に送る。所有物を失うとつらいのは、それが価値あるものだからではなく、自分が何者かを如実に表すものだからだ。所有物とのつながりは人によっても文化によっても異なるが、人間は程度の差こそあれ、みな所有を通じて自己意識を構築する。だからこそもっと所有したいという動機づけが生じ、所有物を手放すことを躊躇するのである。節度なき物質主義や消費主義の問題はもちろん、領土をめぐる紛争の解決を目指す場合にも、人間とモノとのこの独特な結びつきを理解しておく必要がある。

ブルース・フッド「人はなぜ物を欲しがるのか」白揚社 p.266

所有とアイデンティティの関係は、私たちの生き方や価値観にも影響を与えている。所有物を自己の延長と見なす感覚は、社会的なルールや文化の中で形成されてきた。しかし、際限のない所有欲から生まれる奪い合いから生まれるのは環境破壊や空洞化したコモンズだ。今こそ所有の価値観を見直し、分かち合いを基盤とした新しい社会の在り方を模索することが求められている。所有の概念が時代や文化によって異なるように、分かち合いや協力を強調する価値観もまた、多様な形で生まれてくるだろう。所有を超えて共生する社会を目指すために、利己的な欲望を抑え、他者との協調を優先する倫理観を形成していく必要がある。

地球の滅亡という究極のコモシズの悲劇を避けるためには、個々のアイデンティティー意識を再調整し、その他大勢のニーズと酢酢を来さないようにしなければならないだろう。そのためには、野放図な利己主義は許さないという一連の所有の価値観を、次世代に伝えていく必要がある。身につけねばならない価値観のなかで最も大切とも言えるのが、「分かち合うこと」である。生来備わった競争本能とは相対する概念だが、ともに力を合わせて生きていくためには、他者との分かち合いが欠かせない。所有概念がそうであったように、分かち合いの概念の理解にも子どもの少なからぬ発達が必要であり、そこには文化に応じた差異も存在する。

ブルース・フッド「人はなぜ物を欲しがるのか」白揚社 p.126

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