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千葉雅也『センスの哲学』を要約する

1. 要約

本書はドゥルーズの哲学をベースに意味や主体性からの解放を軸にしているが、従来通りのただ無秩序な自由な逃走線を志向するのではなく、現実に即した形でドゥルーズ哲学を実践しようとしている。それは意味に執着するパラノと自由に発散するスキゾの間に位置するものと思う。千葉雅也氏の代表作である「動きすぎてはいけない」からその主張は一貫しており、年を重ねるごとにより平易な言葉で説明されるようになってきている。

本書の主張は前半/後半で毛色が異なる。前半パートはドゥルーズ哲学の簡易的な実践のような内容である。意味に囚われすぎず、感覚を楽しもうというもの。それは宮台真司が「意味から強度へ」というフレーズで親しまれているものであり、絵画や音楽を例に取って具体的な実践(見方・聞き方)が説明される。キーワードは「リズム」である。音楽のリズムは分かりやすいが、抽象的な思考をすれば、絵画や映画も「感覚のリズム」であると言える。

千葉はリズムを二種類に大別する。一方は「不在/存在のビート」、他方は「生成変化のうねり」である。ビートというのは0→1→0→1と続くリズムである。人間心理的には0=不在、1=存在を表し、赤子のころから「いないいないばぁ」という遊びの中で、0=いない(危険)1=ばあ(安心)という疑似体験をしている。「うねり」というのはより細かい差異の連続であり、意味を帯びない出来事そのものである。ここで千葉氏は「ビート」と「うねり」のどちらかを上位に置くことはせず対置している。どちらかを強調して重要と言っているわけではない。

ここで思考の土台が固まり、後半パートでは「センス哲学」の核心に迫っていく。事物がもつリズムに対して、人の取る態度は二種類ある。一つ目は「安定」である。人はある程度リズムが予測可能でコントローラブルであることを求める。思い通りのリズムを刻むことで安心する。ただし、安定しているだけではつまらない。私たちは何か予想外を求める傾向があり、一般的には遊びや映画などで疑似体験している。一部の人はエクストリームスポーツなどで安全の範囲を超えてさらに本当の危険を味わおうとする。千葉雅也はフロイトの快原理を引用し、安定を得ることを「快楽」、快かつ不快を得ることを「享楽」と引用している。

この態度から、ただ安定だけが「センスがいい」ものではないと言える。正しく描くことや演奏することだけが「センス」ではない。完璧なものが一番センスの良いものとは言えない。完璧なものより少し欠けたものに惹かれることがある。プロの作品よりも素人やアマチュアの作品のほうが魅力的だったりする。それはただ安定しているのではなく、欠けていること=享楽的な要素を持つことと言えるかもしれない。センスの核心が見えてきた。

しかし、ただ「バラバラ」を志向すれば良いわけでもない。さすがにバラバラすぎては意味が分からない。適度なバラツキが重要である。規則正しさのなかに適度なバラツキがあると「センスが良い」とされるのだろう。ここで人間が持つ「有限性」というキーワードが導入される。人はいくら努力しても完璧にはなれない。しかし、その不完全さも魅力である。それが世の中でウケるかは分からないが、少なくともその有限性が「個性」でありオリジナリティとなる。千葉はこの「有限性」を肯定する。

最終章に入ると千葉は伏線回収に向かう。上述された「意味から解放」について、とはいえ「意味から逃れられない人間性=どうしようもなさ」を肯定する。適度にバラつくこと(センスの良さ)の重要性を述べてきたが、一方で執拗に繰り返してしまうことにも惹かれるのだ。千葉はこれを「アンチ・センス」という。

ひとつのことにこだわらず、いろんな事柄へ飛び移っていくほうがセンスがいいと言えるかもしれません。そうしたあり方は軽やかだと言われたりします。それはそれで褒められることもありますが、しかし人は、どちらかといえば、宿命的に何かに取り憑かれている人にどうも惹きつけられてしまう。ただ、「宿命的に何かに取り憑かれているみたいにふるまう」という自己演出もあるので一筋縄にはいきません。ともかく、反復と差異のバランスという意味でのセンスの良さがある一方で、何かにこだわって繰り返してしまうことが重要なファクターとしてある。それは、いま言ったセンスの良さを台無しにすることもあるので、「アンチセンス」と呼びたいと思います。

千葉雅也『センスの哲学』 文藝春秋 p.210

あえて前半と対立するようなことが書かれる。千葉はただ上手く散らせばいいとか、ただ固執すればいいと言いたいのではないし、上手く中間を取れと言いたいのでもない。本書は「完璧になるまで表現できない」神経症的な人への処方箋であると同時に、それをオーバードースしてファシズムへと向かうことも否定する。千葉が肯定しているのは「試してみること」である。試していくなかで、差異(リズム)を感じ取り、より良く響くリズムを見つけてみること。その追求のなかで偶然的に生じた不完全性を個性=オリジナリティとして肯定すること。それが本書のメッセージである。

2. 所感

本書を読んで私なりには「センスがあるもの=強度が高いもの」だと感じた。ここで言う強度の高さとは反復の執着度=個性の強さである。それはただ無力な反復ではなく、その執着から逃れようとするが結局立ち返ってしまう反復。だから一つの個性にバラエティがまとって豊かに見える。最終章で述べられるアンチセンスは不格好な同心円をイメージした。同心円の中心点=アイデンティティであり意味の源泉といえる。これが仮固定的でゆらゆら動いてしまう。しかし、ある程度の範囲内に中心は収まる。センスの哲学とはこの中心点を意識的にブラして、どこまで遠くにいけるか実験しようと解釈できふ。そこで獲得したバラエティの豊富さがセンスに繋がる。中心点があるせいで人間は限定されてしまうが、中心点があるからこそ生じる人間的な個性を肯定する。そんな自分の「どうしようもなさ」を肯定し、センスの追求とアンチセンスの諦めという矛盾を抱え、生きていけたらいいと思う。


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