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どっちつかずでいい

私には、俳優•歌手と二つの肩書きがある。
正直自分では肩書きなんてどうでもいい。
そもそもこの二つに線引きをしてないし、
人が自分をどこにカテゴライズするかによるとしか言いようがないのだ。

まぁまだ売れてもないしね笑
売れたらもっと色んな肩書きをこれでもかってくらいぺたぺたくっつけたいな。

今回は、どうして私が二つのことを同時にやっているのかを書いていこうと思う。


もともと幼い頃から歌が大好きで、
小学校の先生の「あなた歌手になれるわよ」という言葉を間に受け、自分がアーティストになることを信じてやまなかった。

こういう人世界中に無数にいると思う。
子供の時の信じる力ってすごい。

健気に自作の曲を作ってはボイストレーニングに通い、レンタルショップでランキングTOP20のCDを毎週借りて、とにかく聞いて歌って真似してが楽しかった。
歌が常に身近にある生活を送ってきた。

興味があるのは音楽だけ。学校の成績など気にせず、ぎりぎりで進級し音大に進学した。

そして共同制作者のHiyokoとも出会うことができ、オリジナル曲をたくさん作り、武者修行と題しライブを2.3年やり続け、とにかく日々生のパフォーマンス力を鍛えた。

【頑張り方を間違えた時期】

ただ、当時の私は、ずっと自分のことばかり考えていたんだと思う。支えてくれる人、応援してくれるファンの人に意識が向かず、どうしたら早く有名になれるのか、ゴールに辿り着けるのかを追い求める様になってしまっていた。

なにもかもうまくいかなかった。
ファンの人が増えることはなく、
焦りだけが増幅して、口調が厳しくなり、
仲間も離れていった。
自分がなにをしたいのかわからなくなった。

その折、母が長い闘病の末旅立った。

今まで私の芸事に猛反対していた母が、病院の窓の外を眺めながら私に背を向け、

「あなたなら大丈夫」

といった言葉が何度も思い出された。

この不安をどうにかして解消したい、現実を直視したくないと思った私は、
堰を切ったように映画や舞台鑑賞にのめり込んだ。

現実逃避するためにはそれが必要だったんだと今になって思う。

目の前から、作品に詰め込まれたたくさんのメッセージが押し寄せてきた。
そこには救いや祈りがあった。芸術とはなんて素晴らしいものなんだろうか。
自暴自棄になって荒んでいた心でも、改めてそう感じることができた。

「俳優ってすごい」

ただそれに尽きた。
誰かの人生を自分の人生のように生き、
なにかに祈りを捧げているように見えた。

「私も俳優をやってみたい」

母が亡くなったことで、
歌に邁進していた私は、突如として俳優の道を志すようになった。

Hiyokoに俳優をやりたいから、歌を一旦やめさせてほしいと告げた時、
「またやる時が来たらやろう」と言ってくれた。背中を押してくれたのが本当に嬉しかった。

【もう25歳になっていた】

そんなこんなで俳優をスタートしたのが25歳の時。
きっと覚悟が決まったのも、この時だ。
運、容姿、タイミング、、そんなものを打破するくらい、自分の足で道を切り拓いていくんだという覚悟が決まったんだと思う。
あまりにも遅いスタートだった。

でも、覚悟が決まったことで、だんだんと自分のやるべきことが見えるようになってきた。
いま、好きなことが目一杯できるこの環境に感謝する、応援してくれる方達にできる限りパフォーマンスでお返しする。
そういうことに実直に取り組めるようになった。

俳優として数年間、たくさんのことを経験したことで、自分の中に色んな思いが蓄積していた。今まで感じたことのなかった感情が湧き上がることが増えた。

「私には歌いたいことがある」

と強く思うようになった。
日々感じているこの思いを歌にしたいと思うよになった。
「漠然と歌いたい」ではなく、「歌いたいことがあるからなんとか曲を作って早く歌わないと!」という思いに駆られた。

そしてHiyokoにまた音楽を一緒にやってくれないかと持ちかけ、
2021.2.28、「ニュートラル」というオリジナル曲で、私たちは再始動した。

私は、俳優•歌手、両方をやることで、見える世界が何倍、何十倍にも広がる。
お互いがお互いに影響し合い、知らなかった自分に出会える。
思いもよらない曲ができたりする。
それが楽しくて仕方ないのだ。

だから、人にせめてどちらかにしろと言われようが、関係ないのだ。


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