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継続することに対して私の価値が高いのは子供の頃の経験から。

これまでの自分の価値観を壊し中な私。同じ価値観のままいたら、結局同じ考えで同じパターンを繰り返してしまう。だから、それが嫌で壊すことにした。ここまで思えるようになったことは「今の私」だからです。

コツコツ向き合うことで気づけたし、かけてもらう言葉も理解できるようになったし、本当に自分のやりたいことを探す前に、越えなければいけない課題も見えた。

ふと、なんで私はこんなことをしてるんだろうか?こんなことしなくても、幸せに生きている人だっているんだろうな、と考えすぎて苦しい時はそう思うこともある。

だけど、ここも他者と比べるところではない。つい比べてしまう、これも私のクセ。言っちゃえば、こう言うところも変えていきたい。いい加減嫌だから。

色んな考え方があるから、これも全部自分だと受け止めてしまうこともできる。今まではそうしてきた、私も。でも、もう終わりにしたいから。それで悩んだり落ち込んだりする自分が嫌だから。

納得しないと動けない自分ともおさらばしたい。ずっとずっとそれで生きてきた。色んな方法も試してきた。そして、今はそれなりに幸せに生きている。

でも、それだけじゃないってモヤモヤし続ける自分もいる。欲張りなのかもしれないけど、ここも人と比べるところじゃないから、自分が満足していないのだから、望むところまで登っていきたい。

これは前置きで。
今日書きたかったことは、「継続すること」に対して。
先月メンターと話していて、私が継続することに対しての価値が高いのかもしれないと言われた。その時は、そうなのかなぁぐらいで聞いていた。

その後、色々と考えていたら、ふと思い出した。私は小学生の頃、習い事四つを6年間続けた。最初は、自分からと言うよりも、全ての習い事は母の希望だったと思う。でも通い始めると、楽しかったりして、低学年の頃は当たり前のように通っていた。

でも高学年にもなると、いつも習い事で時間がないので友達と遊べないことへの不満が出てきた。気づかずに4年生ぐらいまで過ごしてきたこともすごいけど 笑、気づいたら遊びたくてしょうがない。

特にそろばんは週3回も通っていて、しかも他の習い事と違い、時間も決まっていないので、早く終わる時もあれば、ミスが多いと拘束時間も長い。それが急に嫌になった時期があった。

それである時、どうしても行きたくなかった私は、学校で遊んでから帰った。家に着くと、母がイライラしていた。学区外のそろばん教室に通っていたので、送っていくために、待っていたのだ。こちらの言い分も聞かず、あれこれ言われたので、その時初めてそろばんを辞めたい話をしたと思う。

でも、話の上手な母に丸め込まれて、結局やめることはできなかったし、そのせいでしばらく関係がギクシャクしていた時期があった。

そう、そのことが継続し続けることがすごいという価値観に繋がっていると思う。結局、母の言いなりな感じになってしまった私は、6年間続けて、母に褒められたし、叔母や身近な人にも褒められた記憶がある。実際、続けて良かったと達成感も味わったし、途中で辞めなくてよかったと私自身も思った。

今の私の価値観のほとんどは、こうして小さい頃からの出来事や親の価値観でできあがっているって、本当にそうなんです。だからと言って、親を恨んでいるとかは全くないです。精一杯育ててもらったと感謝しています。

でももう今までの考え方が嫌で、価値観を壊そうとしている今の私は、これまでと違う行動をすることで変わっていこうとしている。

今朝、ふと思った。意地になって続けているこのnote。夏ぐらいの辛かった時期でも、続けてきた。それ以外でも面倒だなと思ったり、疲れて書くような気分じゃない時でも継続にこだわって書いてきた。

そう考えると、継続していくことへのこだわりをぶち壊すためには、ここで継続をやめることが正しいのではないかと。

でも、それを想像しただけで、心がギュッとするぐらい苦しい。そんなことでと思うかもしれないけど、それだけ私の中では継続へ対しての価値観って大きいものなんだと思う。

さらに考えてみた。でも、そういう私は三日坊主体質で、実は継続がすごく苦手なところはある。その6年間続いた習い事以来、続いたことってほぼないかもしれない。手帳もホント続かないし、あっ唯一続けられたのは育児日記かな。あれは息子の分は5年ぐらい書いていたと思う。子どものためと思って書いていたので、自分のことで続けられているのは、ないと思う。

そう思うと、やっぱり今はやめられないし、素直に流れでやめてしまうのが逆にいつもの私なのかもしれない。そう言う想いがあっても続ける。それがこれまでと違う選択をするになるはず。

結局やめたくない、やめられないからこの選択をしているようにも感じるけど、ちゃんと自分の中でふるいにかけた。これはこれで私の正解。

そもそも自分で決めることが苦手だから、今回はちゃんと自分で決めたから、私を褒めよう。

かなり長くなってしまいましたが、今日の書きたかった思いを書きました。久々に時間に余裕がある中で書けたのでスッキリ。文章にはまとまりないけど、このままで 笑。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございます。最近は、こんな感じで自分の成長記録的な感じになっていますが、少しでも誰かの参考になったら嬉しいかな。

ひとりごと
自分でもあまり深く気にしていなかったけど、間違いなく小学校の習い事の継続は私の中で大きなものとなっている。特に、四人兄弟の中で、私だけが6年間継続したから、しばらく母もそれを褒めてくれていたから。知らない間に私の中にあった価値観なんだな。私自身も子供に対してもあったかも。今気づけてよかった。


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sato/元不登校の母/さとねぇさんの相談所
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