ほぐしてハグして
嵐のように吹き荒れる言説の中にあっても、どこかそよそよと風にたなびいている、そんな気分にさせてくれる心地よいメッセージがところどころには在る。
事物や事柄を巡る解釈はひとそれぞれだから、本来は勝手気ままにつぶやいていいのだと思う。ただ、あるうねりのようなものに巻き込まれた時には注意して発言するようになった。
世知辛い世の中になったものだとの感は否めないという向きもあろう。どこかで多様性を求める遠吠えも聞こえてくる。
だったら、この時代を楽しむ術はないかな、と考える。それには多分、幾ばくかのトレーニングが必要なのかも。正しい!と思った時、正しくない!と思う感受性の余地を考えてみる。苦難だ!と思ったら、これをしあわせ!に変える発想が道端に落ちていないか、立ち止まってみる。
発想の柔軟性を支えるのはユーモアや諧謔の気分だと思う。笑いをさらけ出す人は其処彼処に居るもの。路地裏からそっと世界を見つめているような佇まいで。つまらないことをユーモアでくるみ込んで楽しみに転換するトレーニングは、多く笑いの中にあるのかも知れない。他力本願でも良い。歳を取り、色々を失いながらも、目の前にある笑いの中から、心と体をほぐす鍛錬は細々と続けたいもの。そんな自分をハグできれば世界の誰かをしあわせにできるんじゃないかなと信じている。
公開前にネットで見始めていた #アット・ザ・ベンチ というオムニバス映画はそんな気分にさせてくれる。それから、#4tracksRadio という火曜夜の音楽番組に集うリスナーたちとの交流、が最近の鍛錬には欠かせない。