『ここはすべての夜明け前まえ』を読む前に
ひらがなと句点の少なさ
Xでハヤワカの編集者さんがお勧めしていた。第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞の受賞作。今から100年後の未来、老いない体を手に入れた「わたし」がこれまでの人生を振り返るためにに記した家族史。
白を基調とした表紙には折り紙のような優しい色合いでイラストが描かれているが、表紙全体の右側2割ほどには縦書きの文章が書かれている。「二一二三年十月一日ここは九州地方の山おくもうだれもいないばしょ、」から始まるその文章はきっと、これから僕が読むことになる「わたし」が書いた家族史なんだろう。全体的にひらがなが多く句点が少ないこの表紙の文章からは幼稚さと純真さを感じる。きっと何かしらの理由で文章を書くことが苦手なのかもしれない。永遠の命を手にする代償が知能の低下だったとか、子供の頃に手術を受けたせいで知能が子どものまま生きるしかなくなってしまったとか。
特徴的な文体だけど、ずっとこのままというわけじゃないんだろう。きっと家族史はこの文体かもしれない。でも地の文は普通なんじゃないか。
ああ、少し違うけどあれみたいだ。『アルジャーノンに花束を』。そういえば『アルジャーノン』は少し前にXで話題になっていたな。インフルエンサーのポストの文を帯文に使用して、稚拙だとか安易だとか言われていた。別におかしな日本語というわけでもないし、目を引く帯には間違いないのだからそんなに気にするほどかな、結果的に話題になったからいいのかな、確かにどの本にも使えそうな具体性のない文だったけどさ、しかし『アルジャーノン』って数年に1回は何かしらで話題になってるよな、みたいなことを『ここはすべての夜明け前まえ』を手に取りながら考えていた。
よし、この本はとりあえず置いておいて、『アルジャーノン』の帯文を見に行くか。確かそんなことを考えていたはず。でも棚に戻す前に無意識でページをめくって、『アルジャーノン』のことはすっかり頭から吹っ飛んでしまった。
どのページをめくってもあの表紙の文体だった。200ページはなさそうだけど、それにしたって全部この文体なの?読み切れるのかな、これ。俄然気になってきた。だから「特別賞」なのか。こういう小説はめちゃくちゃハマるか、よくわからないかの二択な気がするぞ。頭の中で今月の本に使ったお金を思い出す。今日は新刊のハードカバーを買うつもりはなかった。今月は九段理江の『しをかくうま』も買いたいし、ビブリア古書店の新刊も出るぞ。手に取った本の裏表紙を見て値段を確認する。よし、いける。僕は本を棚に戻さずにレジに向かった。