多様性と「めざす児童像」①

私の子どもが関わる先生方はどの方も一生懸命で、素晴らしい方ばかりだ。子ども達に愛を持って接してくださっている事も伝わってくるし、学校なりの工夫もとても有難い物ばかりで感謝の気持ちでいっぱいだ。

しかし、そんな素敵な人間性の先生方とは裏腹に、学校という組織で考えた場合、学校の在り方と、多様性に対する課題は悩ましいものがある。

そして、我が子が通う小学校が掲げる「めざす児童像」について、思うところがある。

そのベースとなる思いは、教育や子供たちへの愛情あるがゆえであり、尊い事であるのだが、
皮肉にも、それが時として価値観の押し付けになってしまう事がある気がしてならない。

なぜならたいていの場合、それは、ある一定のの尺度による社会の見え方により生まれた、多数派寄りの価値観によるものだからだ。

それは発達障害のような、物事を考えるルートが独特な人や、定型発達であっても一部の人にとっては、共感できない内容であったり、それどころか、彼らを苦しめる原因になり得るのだ。

学校はよかれと思い、理想像に向けて指導するが、想像の範囲を超えた個性が出てくると、混乱してしまい、それを「問題」だと認識してしまう

②へつづく


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