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シリア ダマスカス ウマイヤド広場 大統領宮殿 サイドナヤ刑務所

シリア

 こういう出来事を怒涛の快進撃とか、向かうところ敵なしとか言うのだろうか。中東において最も苛烈な独裁体制を敷いてきたアサド政権が、わずか12日ほどで打倒されてしまった。
 11月27日、トルコ国境近くのイドリブから進撃を開始したシリア解放機構などの反政府勢力は、12月3日にシリア第2の都市アレッポを制圧。何が起きたのかと思っていると、反政府勢力はそのまま南進。ロシア軍による空爆などの妨害にもかかわらず5日にはハマ、7日にホムスといった主要都市を次々と制圧した。そして8日には首都ダマスカスを陥落させた。
 ここにアサド政権は崩壊。アサド大統領はロシアに亡命した。

 中東シリア。左の海は地中海。上はトルコ。左下はアフリカ大陸。下はアラビア半島。右はイラク、イラン。

 北部はトルコ、東部はイラク、南部はヨルダン、西部はレバノン、イスラエルと国境を接している。

 上にアレッポ。イドリブはその左。アレッポの下にホムス、さらにその下に首都ダマスカス。アレッポの右から右のイラクに流れているのはユーフラテス川。

 ダマスカスはレバノン国境に近い。

ダマスカス

 衛星画像は2024年12月10日。マーカー地点はダマスカス。国境線を表示している。ズームアウト。

 ダマスカス市。右下にダマスカス国際空港。

 左下の空港はメッゼ空軍基地。アサド大統領はここから脱出したのか?

 左は大統領宮殿。中央付近はウマイヤド広場。

ウマイヤド広場

 参考衛星画像は2024年4月25日。大統領宮殿とウマイヤド広場。

 東西交通の結節点。レバノンのベイルートとイラクのバグダッドを結ぶ幹線道路などの主要な道路が通じている。
 広場には「シリアの人々の勝利」を象徴するとされるダマスカスの剣の記念碑が立つ。
 「我々は自由になった!」。
 ダマスカス陥落の8日、シリア解放機構の戦闘員による小銃の祝砲が響き渡る。反政府勢力の旗を掲げ、アサド政権打倒を祝う市民が喜びを爆発させた。

 右上は国防省。中央、右下にダマスカスの剣。

大統領宮殿

 「バッシャール・アル・アサドはいなくなった」。
 各地で父ハーフィズ・アサド大統領の像が引き倒された。いたるところに貼られたバッシャール・アル・アサド大統領の肖像画やポスターは剥がされた。人々が罵りながら、ボロボロになるまで踏みつける姿が報道されている。

 1970年からハーフィズ・アサド、2000年からバッシャール・アル・アサドの父子二代、54年間独裁政治が続いた。軍や秘密警察が背後で支えていた。
 「アラブの春」以降の反政府活動に対してアサド政権は容赦ない弾圧を加えてきた。混乱のうちに2011年からシリア内戦が始まった。
 ロシアやイランがアサド政権に肩入れし始めると、反政府勢力はほとんど壊滅状態になった。

サイドナヤ刑務所

 反政府勢力は各都市を制圧する過程で、刑務所に収容されていた人々を解放してきた。ダマスカスを陥落させるとただちに着手したのがサイドナヤ刑務所の解放だ。
 ダマスカス郊外にあるサイドナヤ刑務所には連日、行方不明になった家族や知人の安否情報を求めて人々が押し寄せている。
 拘禁、拷問、殺害などの残虐行為が繰り返されてきた悪名高い刑務所の実態、犠牲者の悲劇については、人権団体などによる調査が続いている。
 マーカー地点がサイドナヤ刑務所。下がダマスカス市街。ズームイン。

 シリア内戦の犠牲者30万人以上、難民500万人以上。

 
 国外から帰還してくる人々。平和的な政権移行が進行中。ダマスカスでは日常が戻ってきつつあるという。

注記)
a.衛星画像は、欧州宇宙機関 ( European Space Agency : ESA ) が運用する EOブラウザからスクリーンショットしたものを使用しています。
b.地図画像・参考衛星画像は、ESRI が運用する World Imagery Wayback からスクリーンショットしたものを使用しています。

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