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【スピ系×中庸】から使命を見つける道

Kindle6冊目出版に向けて資料のまとめ作業を行っていきます。

表紙だけ先にできました。どうぞ、よしなに~。


6冊目:発売12月ごろ


6冊目の内容は、読んで欲しい読者層をかなり絞りました。

しかし、内容は「自分らしく生きること」を古典と心理学そしてスピリチュアルの観点から、かなり深めに考察した内容です。

・本来の魅力を引き出す純粋さ
どのような在り方(過ごし方)で生きていれば良いか

そして、目指すゴールは「中庸」としました。


スピリチュアル界隈ではニュートラルな状態、「ゼロポジション」といえばわかりやすいでしょうか。

本記事は「中庸」がどのようなものなのかをまとめました。

執筆段階ですので、参考程度になれれば幸いです。

ポイント
・自分を見失ってこそ中庸に至る道
・中庸でいると自ずと「天命・使命」に至る
・道理のないところに本来の自分はない


ーーー注意ーーー
これから出版する6冊目の資料用の記事です。
読んでもらうためのまとめではないことをご理解くださいませ。
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中庸は「中庸じゃない体験」から始まる

天命や使命は、ありのままの自分から自然に生まれてくるものです。

しかし、このようなときは中庸を失い、使命を見失っている状態です。

・動機と結果が食い違う
・理想と現実が一致しない
・適切に定めることができない

取り組んだ結果が、食い違っていることは中庸の心を失っているからです。

スピリチュアル界隈ではノンジャッジという言葉に崇高さが見え隠れしています。

なんでも受け入れる
ありのままを受け入れる
非難・批判しない形だけの懐の深さ


しかし、
「ジャッジしない」という意味だけが独り歩きしているようにも感じます。

怒らないことが聖人とされ、
「我慢の美徳」は相変わらず弊害を起こしているようにも感じます。

適切に見極めることを安易に辞めた者は、無分別に生きることとなります。

ゴミを捨てるときに無分別に捨てていれば、焼却炉の中には空き缶、空き瓶が入ります。いつかは、焼却炉が機能しなくなってしまいます。

同じように心の中の処理能力は、機能しなくなってしまいます。


無分別は、食べ物の味を正しく味合わずに、食い散らかすことでもあります。

・腐ってはいないか?
・添加物は多くないか?
・自然な食材か?
・毒は入っていないか?
・本当にお腹は空いているのか?


じっくり味わうと、料理を作った人がどれくらい手間暇をかけたのかを想像することもできます。

色んな経験を仕分けしていくことで、身につくことができます。


中庸の基本テーマは「性(ありのまま)」、「道」、「教え・訓え」です。

中庸でいるためには、社会が作った基準ではなく自分の中にあるありのままの自分が基準となります。

この基準を見定めていくために、経験や感性を丁寧に分別し仕分けし、区分していく必要があります。

つまり、自分に向き合う「内観・内省」が重要になります。


内観と内省をもとに得たありのままの自分を貫き生きていくことが中庸の道となります。

そして、「道」であるためには続けていくことが大切になります。

最終的に、先駆者・実践者として後世へと教えていくことで自分の中で中庸思想が成り立ちます。

以上が、性(天命・ありのまま)、道、教えの流れとなっています。


あわせてもう一つ大切なことがあります。
中庸で大切なことは両極を知ることと云われています。

・ありのままではない自分を知る
・間違った道を歩む
・教えを乞う

あなたが、
いま苦しいことが続いていて、
ありのままの自分を見失っているとするならそれは中庸に至る道です。

それは、ありのままの自分を見つけるに至る道です。

そして、常に実践者であることが求められています。

青い鳥となる天命・使命とはなにか?

天が人に与えた命令を本性、あるがままの自分という
あるがままの自分に従うことを道(道理)という
それを歩けるよう導くことができることを教え(訓え)という

あなたが、探し回る青い鳥は自分の心の中に在ります。

天命と使命は、天が与えた「あるがままの自分」です。

生まれつきの本性です。
エゴや社会的な当たり前を除いたときに出てくる本性です。
だからこそ、西洋の一部では「幼子」というのが、高い精神性を持つ心ともされています。
純粋な心、ピュアな想いを指します。
そこには、善悪や思惑を超えて心から溢れてくる純粋な意識があります。

純粋な意識そのものが天命であり使命へと繋がります。
その純粋な意識から溢れ出てきた生き様が天命であり使命です。

もし、あなたがいまだに天命や使命を探し続けているのであれば、それはまだ純粋な意識にたどり着いていないということかもしれません。

純粋な意識にたどり着けば、それは天が与えた「あるがままの自分」であり、自ずと「なすべきこと」が見えてきます。


中庸の反対にある「勝手気まま」な振る舞い


中庸の心とは?

・中と静/ニュートラル
・解放と平穏/ゼロポイント
・調和と和音/ハーモニー

ちなみに道理の対義語は"無理"となります。
道理は、筋道が立ったことを言いますが、無理は筋道の立た無いことを言います。

天が人に与えた命令を本性、あるがままの自分という
あるがままの自分に従うことを道(道理)という

天が示したありのまま生きるということは、勝手気ままに生きることではありません。そこには、中庸の精神はなく、天に背いた精神となります。

勝手気まま、身勝手さは道理のないところから生まれます。


日本で伝わる伝統的な〇道は、武道や茶道、華道などがあります。

この「道」というのは、性(天から与えられたありのままに従う)という意味が込められています。

天から与えられたその武術の真理・極意に従うという意味でもありますが…

本当に大切なことは
内なる自分が天と繋がるところに「道」に込められた意味があります。

「弓と禅」の中にヘリゲルの弓の師はこう云います。

結果(的を射る)を目指す技術は邪道である。
結果は内面に起こったことの外側に現れた証明にしかすぎない。

弓と禅

※わかりやすいようにニュアンスを変えています。


とりあえず、ここまでとします。続きは、加筆修正した出版をお待ちください。定期的に、まとめてUPしていきます。

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