2024年正月に思うこと
お正月は私たち日本人にとって特別な意味を持っています。年神さまを迎え、この一年の福を迎え入れる大切な節目です。
だからこそ新年早々、飛行機事故、能登半島の地震など、人の命に関わる惨事は、これからの私たちの一年を映し出しているように感じてしまいます。
自然と意味づけしてしまう習性を客観的に見つつも、人智を超えた流れのようなものの中での位置付けが何か、つい考えてしまうものです。
私は今、経済というものを捉え直そうと思っています。
一部の専門家のものになってしまった経済。富めるものは富み、貧しいものはさらに貧しくなる経済。
戦争を起こしてしまう経済。
現代貨幣論では債務貨幣経済の仕組みの闇を指摘しています。
私たちはいつしか利子、負債を支払うために働きアリのように働き続ける仕組みに巻き込まれているのでしょうか。
「お金の向こうに人がいる」著者 田内学さんはお金自体に価値があるという誤解があると指摘しています。
お金の正体は「人に働いてもらうこと」、私たちはお金で誰かに働いてもらってその価値のためにお金を払う。
お金を払う行為、受け取る行為それ自体にあまり意味はありません。
お金は免罪符のように、意味を付与された紙切れに過ぎない。
それを将来不安だからと溜め込んでも、今足りない足りないと追い求めても、手に入るのは紙切れに過ぎない。
一見、お金が価値基準となった社会の中で、それでもお金がいらない社会があります。
それは災害時の社会です。
緊急災害時にはお金関係なく、モノ・サービスが循環する仕組みが生まれます。
誰に指示されたからでもない。目の前の人を助けたい。何も繋がりのない「他人」同士が、対価を顧みず経済行為を実践する現場がそこにあります。
お金を介さない、手触り感のある繋がりの中で、一人ひとりの本来の社会におけるミッション・役割を感じ、生きる意味を再確認する。
それが私が本来信じている経済のあり方なんだろうと思います。
今この瞬間も苦しい状況を迎えている人が多くいらっしゃいます。
この瞬間を讃えようなんてことは思っていません。
ただお金が目的化しない、助け合いの関係性の中に私たちが生きたい社会のヒントが隠されているようにも感じるのです。
一方で私はお金が必要ないとも思っていません。
「進化思考」(太刀川英輔・著)で描かれた人間の進化では、私たちの身体性、精神性を補うように技術が発展したと著述されていました。
その意味でいくとお金は手足の拡張ツールでもあると思います。
私は物理的に日本から離れてしまい、今の事態を外から眺めており、無力感を感じながら佇んでいる状況です。
ただ、支援金という形で手を差し伸べることができる。
その意味ではお金の存在に感謝しています。お金という手段が私にギフトを体現することを可能にしてくれます。
生きる意味を感じるつながりを取り戻し、その中で支え合いながら生きる道筋を見出すこと。
本来の目的を取り戻した上でお金を捉え直すこと。
これが経済を編み直す切り口として大事なことだと思っています。
今年は辰年なんですね。
中国では龍は富と幸福をもたらす、最も縁起の良い干支だそうです。
今年一年経った時に、どんな一年だったと意味づけされるでしょうか。
量子力学の観点からも時間は今ここの観測によるもので、過去はいくらでも書き換えられるそうです。
今、ここで苦しむ時、心を痛める時、思い悩む時があるとしても、
その痛みや苦しみを抱きしめようと思います。
そして振り返った時にそれらがどんな豊かさを私に与えてくれたのか、その意味を感じ、ありがとうと言ってこの一年を終えたいと思います。
いつも一年の計を考えるようにしていたのですが、不意に言葉に縛られるのが嫌になりました。
自分の中から湧いてくるものを信じて生きたいと思います。
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