実は海外移住って「本当の自分」を取り戻すチャンスだと思う
今思い返しても、そこそこ辛かったし2度とあんな思いはしたくない!とすら思ってるバンコク移住直後の思い出なんだけどね。でもあればあれでよかった面もあって「自分を見失ったからこそ、本当の自分を取り戻せた」と思ってるんです。
移住前に東京で10年間独身貴族をしてた私は、自分のためだけに時間を使ってきた。とはいえ大半以上を会社に捧げて仕事ばっかしてきた訳だけど、週末になると隅田川沿いをいそいそとジョギングする自分に酔ったり、お昼は数少ない友達と今時のお店に出向いてはキャーキャー騒ぐみたいな感じで、常に動き続けてきた。一度も止まることなく、駆け抜けてきたように思う。(ちなみに嫁ぎかけたニューヨークは常に走ってる印象だった。東京より更に忙しいよね!)
だからこそ日々前進してるように感じて、そんな自分に安心したりしてた。逆を言うと、何もしない立ちっぱの自分に不安を感じたんだと思う。特に東京となると、自分なんかより出来る人はいっぱいいるから、そんな競争社会で勝ち残っていくためには、おちおちしてられん。行動せねば!そんな感じだったのかな。
そうやって常に前進することが良しとしてきた生活から一点、バンコクに移住した直後から私の動きはピタリと止まりました。移住直後に長男を妊娠したので、タイ語もまともに話せない初期妊婦を雇いたい会社なんてないよってことで、受けようともせず諦めた。運よく受かったとて、つわりで出社できなかったらどうする?の不安もあったり。お金ないと何にもできないのは日本もバンコクも変わらないからね、仕事できない=はい終わり〜みたいなスタンプを自分で自分にバーンと貼ったよね。
じゃあ、無償でもいいから自分でなんかやりたい!と日々大きくなるお腹を抱えながら行動してみるも、知り合いなんていない別社会で急にお話をいただけるほど甘い世界ではなかった。タイ人夫の経営者の友達に「〇〇を和訳してほしい」みたいな話をしょっちゅう受けてたけど、実際に形になったものはひとつもなかった。その度にガッカリして「この国で私は税金すら払えないんだ」って、どこまでも自分を落とした。
じゃ、お金払ってでも何かやることが欲しい!みたいな感じで、せめてタイ語でも習って「新生活に慣れることを今の仕事にしよう」と心を入れ替えるも、前投稿でお話ししたように、思うようにタイ語は頭に入ってこないし、家に帰れば過干渉の義母がいるから家事しずらいし、でも夫は夜まで仕事だからって、大したお金も持たずに近くのショッピングモールで4,5時間ほーっとしてたこともあったっけ。タクシーのおじさんにぼったくられるのが怖くて、まだまだ安定期に入ってない頃、炎天下の中徒歩で1時間かけて帰宅したこともあった。
社会人になる前から、なんなら高校卒業して海外留学してた頃からずーっとずーっと動き続けてた私が「初めて行動を止めた」というか止める他ない状態だった。当時に私にとっては、それがすごく苦痛でした。外国人ってだけでビザ申請とか何とかお金かかってるのに、その上妊婦健診もかさんで、なのに私は一円も稼げないホルモンお化けのお荷物妊婦嫁。ここバンコクでは無力な自分が悔しかったし、夫に助けてもらうしかなかったのが本当に情けなくて申し訳なかった。
一旦足を止めた私。それでも再び前進したい気持ちだけはあったから、泣きながら次に取り組んだのは「何で私はこんなに辛いのか?私は本当はどうしたいのか?どんな人生を望んでるのか?」っていう、自分と向き合うことだったんです。自分と向き合うって時間とメモとペンがあれば、お金なくてもできることなんですよね。だから、お金はないけど時間はたくさんある当時の私にはうってつけの作業だったんです。
昔から妄想だけは人一倍長けてたので、考えることは嫌いじゃないし、何なら好き。でも自分と向き合うって、過去の苦い思い出や傷と向き合うということでもあるから、苦しい時ももちろんあります。けど、今のこの辛さを解消したいなら、その辛さの正体を知らないとどうしようもないじゃない?ってどこかで分かってたので、毎晩泣いて夫に訴えながら、でも諦めずに。
そしたらね、少しずつ分かってきたんですよ、自分ってもんが。それに昔の傷も、避けるより向き合った方が癒えるんだなって学んだ。
25歳くらいの時に「自分探し」みたいな言葉が流行ってたと思うけど、その時は「私にはそんなものいらない!」と本気で思っていた。けど、東京にいた頃の日々前進していたい、強くありたかった自分ってのは、本当は内向的で傷つきやすい自分を隠すために「理想の自分」を演じてたのかもしれない。自分を知ることで、これまで人とノリが合わなくて馴染みづらいと感じてたこととか、ずっと感じてきた違和感の答えが解けていく感じだったんです。
私ね、あれだけ恐れていた「一度立ち止まってみる」って全然悪いことじゃないんだって今では思ってるんです。だって、立ち止まらないと見えない景色っていっぱいあるんですよ。子供が小さくて仕事に行けないダメな自分とか、夫の国に馴染めなくて毎日出不精の根暗な私とか、そんなふうに思う必要全然ない。
今立ち止まってることをネガティブに捉える方がいるとしたら、そりゃ私だってその真っ最中は「ピンチはチャンス!」的な前向きな気持ちには到底なれなかったけど、今思い返すと「バンコクで一度立ち止まったからこそ本当の自分を取り戻せて、今の穏やかな人生を得られているんだ。Everything happens for reasonじゃん!」って思えてるんですよね。東京で日々前進してたら絶対気づけなかったことだと思う、だから私はバンコクに来たんだ、一度全てを失って、本当の自分を取り戻すために!って思うんです。
海外移住は、本当の自分を取り戻すチャンスであると、本気で思っています。日本人で海外移住する人って言ってもまだ少ないと思うから、あなたはそんな数少ないチャンスを得たんだって思って欲しい。
キレイゴトだけじゃない、けど捉え方次第では今の苦しみが、その後の人生を豊かに美しいものにするきっかけなんだってことを、心から伝えたい思いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?