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「やらなくてもいいよ」と「やってもいいよ」は,同意義なのである‼️の話

もうすぐ11月。学校現場は運動会を終え,ひと段落・・・
ではなく,次は音楽発表会など文化的な行事が待ち構えています。

とにかく教育のあり方が問われている昨今,報道でも特集が組まれているし,これまでのやり方から脱却して,今まさに新たな挑戦をしている学校や自治体などが取り上げられています。
報道を見ていると,なんか公立学校も変わってきてるような雰囲気を感じるような気がします。ですが,実際にほとんどの学校ではそのような取り組みに至っていないのが現状なのです。学校現場って,本当に保守的でなかなか変わらないんです😰

当たり前のように行われていることは,学校長の権限で廃止できるものがたくさんあります。
学校行事だって,時間割だって,通知表だって・・・
変えようと思えば変えることはできます。反対の声があったって,
構造的には「できる」んです。
ではなぜ,抜本的な改革が進まないのでしょうか⁉️

◯◯しても良い=◯◯しなくても良い

通知表を例に挙げてみましょう。
基本的に通知表やあゆみと呼ばれるものは,作成する必要はありません。
(一方で評定というものは,指導要録へ記載するためにつける必要があります。これは,法的に定められているので検討の余地はありません。)

つまり「通知表をなくしても良い」と言われているのに,決断ができないのは「通知表をなくさなくても良い」と言われているのと同じだからです。

要は
自分にとって「都合の良い方,楽な方」を選べるようになっているんです。ここが,教育がなかなか前に進んでいかない原因なのです。
結果がどうであれ,教員の給与は変わりません。
そして,思い切って何かをするにはそれなりの勇気と行動力と労力が必要になります。どちらが楽かは,明らかです。

どっちでっも良いのだから,1度なくしてみたらいいんです‼️
でも,それはできないんです😫
これまでになくしたことがないからです😨
なくしている人(学校)が自分の周りにいないからです😰
リスクを取りたくないからです😰

今,必要なのは単純に「これをやめなさい」という強い権力をもった言葉なのかもしれません。


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Takuya〜 探究スクールThere代表/探究設計者 /好きと夢中を滑走路に
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