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「わからない」が言えない学校教育‼️

先生「わかった人ー‼️」
子どもたち「はーーーい✋👧🏻」

微笑ましい光景ですよね✨
・・・ただし,ここだけ切り取れば😎

大体この後どんな展開になっているのか。想像してみましょう‼️
学級での指示にせよ,学習内容にせよ,

本当に時間をかけて,何度も真剣に伝えたこと以外は
40人近く子どもがいて,全員がわかってることなんて,ほぼあり得ません。

なので,これが指示であれば,みんなわかったという前提で先生が動き,

「これって,◯◯するんですか⁉️」
「終わったらどうしたらいいですか⁉️」
という事声がちらほら🥹
すると,・・・・イライラしてしまいます😰

さっき言ったし,説明もしたでしょ‼️💢😤
(♯いやわかるわーー🤣)


と,怒られるから,わかんなくても言わない。
すると,集団として動けなくなり,
集められてお説教の流れに突入します。笑
(♯全部が全部ではありませんし,何事にも例外はあり)

では,授業の中ではどうでしょうか⁉️

🟧「わからない」時にどうするか⁉️

学びのスタートは自分が「わからない」ことを認めることからです。

『下手くその上級者への道のりは 己が下手さを知りて一歩目』
  
by:安西先生(スラムダンクより🏀)

そして当然ですが,先生たちは
授業を通して「わかる」ようになってほしいと思っています。
その授業でのゴール(何ができるようになれば良いのか)を明確にして,
そのためにあれやこれやと,知恵を絞って支援の仕方を考えます。

例えば,算数の授業で面積の求め方がさっぱりわからない子がいます。
みんなが考えたり,計算したりしている中,その子は何もできずに止まってしまいますよね。
そんな風に困っていている子がいたら,
何とかしたい‼️してあげたい‼️
その気持ちは,すごく理解できます。当然です。

でも,先生からその子に声をかけて,
一方的にヒントを与えたり一緒に考えたりすることは,
本当にその子のためになっているのでしょうか⁉️

子どもは心の中で何を考えているのか⁉️
それは先生との関係の中で「想像する」しかありません。

「どうしたらいいか,何もわからない・・・でも,何とか問題を解きたい」
「・・・意味がわからん。・・・早く算数の時間終わってほしいな。」
「・・・全然わからん。先生教えてーー。」
「・・・疲れたなー。・・・早く給食食べたいなー」
「・・・みんな問題解いてるけど,わかんないの恥ずかしい。もう嫌」

などなど。算数の時間に,わからなくて止まっている子は,
その日だけではありません。
一番上以外の場合がほとんどでしょう。
たとえ,何とか問題を解きたい‼️と思っていたとしても,
そう思っているだけで先生が来てくれると,それはそのまま習慣化します。

「わからなくて困っていたら,先生が助けてくれる」のですから,
当然のことです。

🟧仕掛けて子どもからの「アクション」を待つ

わからなかったら,自分から先生に聞きに来ましょう。
よく耳にします。大人や高校生くらいならそれで通じるでしょう。
わかっていないのに黙っていて,聞きに来ないのは自己責任という考え方も理解できます。

しかし,小学校で「聞きに来ないと何も教えない」は子どもと本当に向き合っているとは言えません。(もちろん発達段階にもよりますが)
大概の場合,そう言っても自分から聞きにくることは少ないです。
そして,重ねてそこも指導されます。

「どうして聞きに来なかったの😤」

まぁ,なかなか言えないですよ。実際は。
先生は授業中,40人近くを相手にしていますからね。
優しい子は気を遣うし,おとなしい子はきっかけがないと難しいです。
だから,先生が自分からその子のところへ行ってしまいがち😭
わからなくても座っていたら,
優しい笑顔でヒントを土産に教えに来てくれる。
果たして,本当に子どもためになっているのでしょうか⁉️

もちろん
そのようなアプローチが,どうしても必要な子どもがいます。
そのようなアプローチが,どうしても必要な場面もあります。

(♯何にでも例外はあります。基本スタンスの話をしています😆)

しかし,それが当たり前である環境にずっといたら,どうなるでしょうか⁉️
世の中に「わからないこと」は無限にあります。
これから先,さらに増えていくことになります。
自分の学びが「教えてもらう」ことだけで満たされていては「わからない」ことも,自分の責任ではないことになり,
だんだんと他責思考に蝕まれていきます。

だから「わからない」ことへのアプローチの一歩目は,
たとえそれが「1㎜」だけだとしても
絶対に自分の力で進まなければなりません。

それを生むための環境を全力で創り出すのが先生の仕事です。
もどかしくても,子どもが自ら動き出す瞬間までは我慢‼️

①「わからない」を認める。
②「わからない」を声に出せる。
③「わからない」を解消するためのアクションを起こせる。
(どんなに小さな行動でも良い)

これを生み出すのが学級経営であり集団づくりであり,授業づくりであり,
ブレてはいけない本質です。

🟧何を「できるようにしたか」ではない

単元構想の段階で,学習を通して
「子どもたちは,何ができるようになったか」が重要とされています。
あくまで「できるようになったか」であって,「できるようにしたか」ではありません。
わかりやすい授業を目指すが故に,ついつい夢中になって
途中で大事な目的を見失ってしまうことがよくあります。
(♯自分もそうなってた時期があるなー😱)

「自分の力で進んだ1㎜を全力で認める。」
誰も気にしないようなことでも,その子にとっては意味のある1㎜。
課題山積みの積み放題の学校現場・・・
それでも,絶対にブレずに持っておくべき大事なマインドセットですね。


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