グランド・ゼロに想う
今から18年前,私はニューヨークを訪れた。大学生だった私の「とにかく自由の国アメリカに行ってみたい」という気持ちだけで,そこに特段深い目的はなかった。たまたま近くを通ったから。それがグランドゼロへ足を運んだ理由だった。
テロが起こった20年前,私は高校生だった。ニュースでは報道されていたが,当時見た記憶は残っていない。翌日学校で何人かがその話をしていて,何か大変な事があった事は理解していた。教師も授業の中でその話題に触れていた。しかし,当時の自分には何も響いてなかったんだと思う。無関心だったわけではない,と思う。ただそこに,怒りとか悲しみとか憎しみとか,そういった共感力がまだ追いつていかなかった。すごく真剣に語ってくれる教師もいた。今となっては,その気持ちがよく分かる。そんな彼らの目に,当時の私はどう映っていたのだろうか?世界が震撼し,多くの命が奪われた事実を知って何も感じないなんて,感情のない冷徹な人間だと思われていたのかな?けれど,その2年後,私は実際にこの足でグランドゼロを訪れたのだ。
十字に残された鉄骨を眺めた。強い太陽の光。しばらくの間,何も考えられなかった。祈り,命,憎悪,言葉,死,叫び,時間,献花,見えるも見えないもの,全てが少しずつ頭の中で,魚の群れのように集まって何かを形成していくような感じ。2年という時間。そしてニューヨークを訪れたことでわかった。
そうだ,この感情,私は知っていたんだ。
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