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福祉学科の学生が捉える人生について


給付金をきっかけにやりたかったこと、挑戦してみたいことに取り組めるのは非常に良い機会であると感じている。私もまた、そのような機会をぜひ活用しようと思った人間の一人であるからだ。祖父母の行きたい場所に行くために、給付金を使おうと思っているところでもある。しかし、である。何か余裕がなければ挑戦できないことなんて、本当はないはずではなかろうか。どうしてもしたいことであれば、余裕がなくても何とかしてやり遂げようとするはずである。

先日、「モリー先生との火曜日」という本を読んだ。これは、終末期を迎えたモリー先生が死を見つめ直すことで生きることに懸命になれる話が書かれている本である。モリー先生には、余裕なんて、もちろんない。日に日に体はいうことを聞かず、思い通りにいかなくなってくる。焦る気持ちがどうしても出てくる、、、なのにモリー先生はそうではなかった。余裕のない、限られた時間だからこそ、当たり前のことが、目に映る全てのものが、自然が、愛おしくてたまらないのだ。このような現象は実際、今回のこのコロナウイルスで世界の全ての人が体験したであろうことなのである。目には見えないウイルスが、いつ、私たちの命を奪うか分からない。そんな状況の中、私たちの生活は一気に変化した。外にウォーキングに出て体を動かす人、花を植え育てる人、日記を毎日綴り自身の生きた証を記す人、大切な誰かに愛を伝える人。

自粛期間が続き生活に余裕ができたため、このような現象が起きたのも一理あるが、死を間近に感じたからこそ人は自然を愛し、人を愛そうと、また愛されようと、知らず知らずのうちにしてしまうものである。

給付金という"余裕"がもたらす新たな機会や夢への挑戦。わたしは大賛成である。が、しかし。余裕がなければ、何もできない、ということはないということ。そして、終わりのないように思える人生は意外と早く、もしくは急に終止符を打たれるかもしれない、そういった気持ちもどこかにそっと育みながら、全ての人が幸せに、愛を感じながら生きていってほしい。私もそうやって生きていきたいと思う。


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