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道後温泉物語 第6話 お暇
その頃私は、文庫本型の白無地ノートに、毎日絵日記をつけていた。ページを捲ると紫やブルーで塗り込められた2002年の旅のスケッチが出てくる。
「華やかで刺激的なのがスペイン、泥棒が多いのもスペイン。住みたいのは穏やかなポルトガル。」そう走り書きしてある。
何を急にと思われただろうが、18歳の5月、私はサニーカンパニーに休みを貰って、祖父母と共にスペイン·ポルトガルの旅に出ていた。各地の世界遺産を巡るバスツアーで自由行動がほぼなかったが、車窓からオリーブ畑と地中海、古い街並みをこれでもかというくらいたつぷり眺められる旅だった。
帰国してすぐ、そのへんにあった紙に絵の具で描きちらし、徹夜で数枚のイラストを完成させた。紙は明屋書店の袋を切り裂いて厚紙に貼った粗末なものだった。ドン・キホーテをイメージした男の横顔にトリスのハイボールおじさんの樽のような身体を取ってつけた人物。背景はルーズリーフのまるい穴を通して色とりどりの星をステンシルした。渋いおじさんとスペインの鮮やかな夜空を取り合わせたシリーズ。それを毎日新聞社のイラストコンペに送った。ほどなくして編集部から電話がかかってきて、あなたのイラストが大賞に選ばれた。電話でインタビューさせてほしいとのことだった。
両親の離婚、母のガン手術、大学全落ち…と人生の3大ニュースを総ナメした浪人時代に、ただ1つの景気の良いニュースとなった。
授賞式が竹橋の毎日新聞社ホールで7月末で、それに出るとなると…もうさすがに松山には戻って来れないよな。そろそろ東京の予備校で受験勉強に本腰を入れなくてはと思い始めていた。
新緑の6月。ケンブンのレストランオレンジでは、マネージャーに呼ばれて「あっことはいつでも目が合うから信頼しとるんよ。派遣やけどこれからはレジも任せるから覚えてや」とレジ打ちも教えてもらった。ただ、その日はサニーカンパニーの最終勤務日だった。
「森棟マネージャー、せっかく教えて頂いたけれど、私今日でおしまいなんです」と言いにくい事実を告げた。
「え〜〜〜〜っ?!そうなん?!なんやぁこれからいっぱい仕事お願いしようと思ってたのに…」短期バイトの哀しきところである。
ケンブンのマネージャー、支配人、冷静と情熱の間に兄さんズに挨拶し、
事務所に帰ってからはスタッフの皆にお世話になったお礼を言った。最後だと思うとやたらハキハキ、感謝の言葉が出てくる。
カケウチさんとクミさんには「元気で受験がんばるんよ」社長には「また松山来たら顔出せよ!今はお暇のつもりで、また働いてくれてもええんぞ!笑」と言ってもらえた。
この状況なんかと似てるな…あ…千と千尋の神隠しだ!とぼんやり思いながら最後の給料を貰って、事務所のドアをバタンと閉め、一気に階段を走り下りた。
きょろきょろしながら道後温泉商店街を歩く。いつもはショーウインドーを眺めるだけだった、憧れのうつぼやの巨大坊っちゃん団子と、一六タルトをバイト代で購入する。金色の紙包を胸に抱えて、意気揚々と帰路につく。
実家の母と弟に送ろうと考えていた。
数歩歩いてふと振り返る。【道後】の派手な看板が掲げられたアーケードに西陽が反射し、キラキラと輝いていた。
帰りのロープウェイ街では小間物屋に立ち寄り、アクリル素材に薔薇の花が封入されたせっけん入れを祖母へのプレゼントとして選んだ。
帰宅し「今まで私にご飯を作ってくれて、お世話してくれてありがとう」と渡すと、祖母はおどろいた顔をして、「あんたぁ、こんな上等なもの!わざわざありがとう」と、受け取ってくれた。おしゃれな祖母だったので、微妙に好みではないものだったかもしれないけれど、死ぬまで大切に持っていてくれたようだ。
お暇のつもり…だけどもう戻らない。
参考書とわずかな服をまとめて、
7月の暑い日、私は飛行機で東京へ戻った。
※yukitaka_sawama様、素晴らしいお写真お借りしました。