「できる人」に憧れて
「もっと成果を挙げないと」
「もっと頑張らないと」
20代の頃、僕は常に何かに追われていました。
あれから約20年、今はいい意味で肩の力が抜け、自分のペースで仕事ができています。
自分の中で何かが変わったんだろうなぁと思っていたら、今年に入り初めてお会いした方から嬉しいお言葉をかけて頂きました。
成果を上げなければ死
新卒で入社した1社目で僕は現場を経て、広告・マーケの部署の立ち上げを任されました。
入社前からやりたかった仕事に入社3年目にして挑戦させてもらえたことに応えたいと必死に勉強し、食らいついていた日々。その頃の僕は毎日朝から深夜まで働き、200日以上連続で勤務し、全てを一人で抱えていました。
「もっと成果を挙げないと」
「もっと頑張らないと」
毎日毎日広告の締め切りがやってくる切迫感。
それとは別に襲う「このままじゃやばい」という焦燥感。
当時の僕の部署は、部署とは言ってもほぼ一人部署で、社長直下だったため、毎日社長室に通い社長から直接ダメ出しをされ、それでも食らいつくを繰り返していました。
社長に認められなければ死
冗談抜きでそこまで思っていました。
なぜかというと、僕が入社する前までこの会社にはマーケ・広告の部署がありませんでした。それは広告の部署を作る気がなかったのではなく、担当者がみんな外され続けたから。
社長の意に沿う動きができなければ、すぐに担当から外される。
それを目の前で見てきたので、自分は絶対にそうはなるまいととにかく必死でした。
「できる人」に憧れて
それから1年、何とかちゃんと部下をつけてもらい部署にすることができた後も僕の焦燥感が消えることはありませんでした。
入社してからの目標としては、一つ達成したはずなのになぜか。
自分に自信がなかったから。
会社の中ではそれなりに成果を上げ、評価をされていました。
ただ、僕は広告の仕事をしていたこともあり、外部の方と一緒に仕事をすることが多く、当時は日本最大手の広告代理店の方々とやりとりをしていました。
その会社は営業もクリエイティブディレクターも管理職もみんな、僕なんかが足下にも及ばないようなすごい人たちばかりで。
一緒に飲みに連れて行ってもらったりするだけでもいつも新しい世界を見せてくれて、感動していたのと同時に、いつも強い劣等感を覚えました。
いつか、彼らのような「できる人」になりたい。
そう思い、彼らが読んでいる本や行動などを見様見真似。
でも、全然彼らのようにはなれなかった。
できる人って何?
30代半ば、1社目を辞めることを決め転職活動を始めた時、僕はバックオフィス系で財務と経理以外のほぼ全ての職種を経験していました。
広告もマーケも人事も総務もCSも購買も…ある程度何でもできる自分。
当然転職活動も何なく順調に進むだろう、そう思っていました。
「あー、佐藤さん、こりゃあ苦労しますね。」
転職エージェントとの初めての面談で僕のキャリアを見た担当者が一言。
「え…?」
意味が分かりませんでした。
これだけ複数の職種をこなせるゼネラリスト、なかなかいないんじゃないか。手前味噌ではあるけれど、そう自負していました。
「いや、佐藤さんは結局どれのプロなんですかね?何でもできる人はいらないんですよ。」
採用に深く携わっている今ならわかります。
企業が中途採用する時は原則「穴埋め」。
誰かが辞めることになっての欠員補充の場合が多いです。
その辞めてしまう人の仕事が浮いてしまう為、即戦力を採用したい。それが中途採用。
そうなると、募集内容は当然「営業職での実務経験〇〇年」といった専門性が求められるものになります。何でもできる必要はなく、ある領域に特化した人が欲しい。それが市場のニーズ。
当時の僕はそんなこととは知らず、いろんな仕事ができる自分、ということで自信を保っていたので、一気に自信を喪失しました。
「できる人って、結局何なんだよ。」
できる、は他人が認めてくれること
結局、ゼネラリスト的な人を探していた会社に巡り会うことができ、何とか転職できたものの、そこから僕は領域を狭めて特化することにしました。
当初はマーケや広告と思っていたのですが、紆余曲折あり結果的に人事領域に特化することに。
その時、人事領域に転換しようと決意できたのが、
「人事やっている時がしょうごさんの良さが出ていると思うよ」
という周囲のみんなかああらの言葉でした。
僕は自分のやりたいこと(広告やマーケ)で「できる人」になりたかったけど、それは僕のスキルやセンスなどを求めてくれる人がいて初めて成立することで。僕にはそれがなかった。
最初はやりたいことじゃなかったけど、みんなが向いていると言ってくれて、実際に成果も出たのが人事。
それは知識やセンスみたいなものではなく、気質や個性が人事という仕事にうまくはまっていたんだということを知り、これが「天職」ってやつなのか。と感じました。
できる、と言われるよりも嬉しかった
「しょうごさんって、気持ちいい人ですね」
今年、友人が繋いでくれた初見の方とお話ししていたら会話の途中でこう言われました。
「え?そうですかね?笑」
言われた時はなんか照れ臭かったのですが、家に帰ってから何だかすごく嬉しくなりました。
初めてお会いした人からもらった言葉。
できる、よりも、なんか嬉しい。
仕事柄いろんな世代、いろんな背景の方のご相談に乗ることが多いけど、昔はその人の悩みを一生懸命「解決」しようとしていました。
でも、それは時に余計なお節介になり、その人の人生を曲げることにもなりかねません。
僕のことを信頼してくれている人ほど、僕の言葉を信じ、その通りにしないと、と思ってくれる。が故に、もし間違っていた時に人生を曲げてしまうことにもなりかねません。仮に合っていたとしても、その人が「失敗する機会」を奪ってしまうかもしれません。
過去にそれで失敗したことがあって。
今は「その人の課題」に踏み込むのをやめました。
その代わり、相談してくれた相手が考えやすいように、判断しやすいように、状況を整理してあらゆる可能性を提示するお手伝いをしています。
それと同時に、もうひとつ心掛けていることがあります。
勇気づけ・応援すること。
もう、本人の中で結論は出ているんだけど、もう一歩足が出せない。
そんな雰囲気を感じ取った時、底抜けに明るくその人の不安を笑い飛ばしてあげたり、一緒に走ってあげる。
そうするようにしています。
この日も、そんな感じでお話を聞いていたら、「気持ちいい人」と言っていただけました。嬉しかった。
僕はずっとできる人になりたかったけど、気持ちいい人って言われた方がよっぽど嬉しいんだなってことに気づけました。
なので、これからも「気持ちいい人」であり続けたい。
そう思っています。
今回も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
ありがとうございます!サポート頂きました想いは今後のnoteやかたわらの活動で価値にしてお返しします🐻